総務省 一極集中と過疎の解決へ 地域の魅力で人を惹きつける

大都市圏への一極集中は半世紀以上も解決が模索されてきた課題だ。過疎対策は、1970年に制定された「過疎地域対策緊急措置法」とともにスタート。2021年に施行の「過疎地域の持続的発展の支援に関する特別措置法」に至るまで、五次にわたる過疎対策立法の下で、各種の対策が講じられてきた。

山越伸子 総務省 地域力創造審議官

それぞれの地域の良さを
大切にする方針転換

日本の過疎対策の変遷について、総務省地域力創造審議官の山越伸子氏は、「昭和30年代後半から40年代にかけての高度経済成長で一気に地方圏から人が流出したことを受け、地方の過疎と都市の過密の両方が課題となりました。そこで、過度の人口減少を防止する目的でつくられたのが『過疎法』でした」と語る。当初のねらいはナショナルミニマム(国が法律や施策などによって、国民に対して保障するべき最低限の生活水準をあらわす概念)の意味合いが強かった。当時、都市と地方のインフラ格差はまだ大きかったために、道路の舗装や各種施設の整備が過疎法の下で進められていった。

その後、10年毎に過疎対策立法が起案され、1980年に制定された「過疎地域振興特別措置法」では、目的の中から「地域社会の基盤を強化」が無くなる一方「雇用の増大」が新たに加わった。「その後も高齢化、若者人口の減少が続き、地域の活力が低下する状態に対して手を打つために、高齢者対策と産業振興策に注力してきました」。

大きな方針転換があったのは、2000年にできた「過疎地域自立促進特別措置法」からだ。「地域の集落の存続が厳しくなっていくなかで、過疎地域に新しい価値を生み出そうという発想から、個性的で自立した地域社会を創造する方針が打ち出されました。都市の方が進んでいて、地方が取り残されているという考え方がこの頃から変わり始め、地方ならではの価値観を大切にする社会へ転換が図られる分岐点になりました」と山越氏は語る。

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