渋沢栄一の精神受け継ぐ事業構想進化 70社連続起業の軌跡と未来への提言

現代の渋沢栄一ともいうべき連続起業家の株式会社ネームレスの金田隼人氏。事業構想大学院大学の修了生にしてわずか35歳にして70社を超える企業を立ち上げてきたその原動力はどこにあるのだろうか。創業当初の構想から、数々の実績を積み重ねた現在に至るまで事業観はいかに進化し、そして何が変わらずに普遍的な指針であり続けているのか。情報環境が激変する現代において、不変の価値を見出し、未来を切り拓く「進化する構想」の真髄に迫っていきたい。本記事はXの音声配信「進化する構想」の要点を記事にした。

幼少期からの英才教育

連続起業家の原風景

―金田社長が数多くの会社を設立されてきた背景には、幼少期から触れてきた渋沢栄一の存在があるとお伺いしました。創業当初の事業構想は、どのように育まれていったのでしょうか。


会社づくりを始めたきっかけは、やはり小学生の頃から渋沢栄一のことについて触れる教育環境にいたことが大きいです。生涯で500社を設立したという人物が、私の故郷である深谷市の偉人として存在していたことが、自分にとっての大きなバックグラウンドになっています。

高校時代は漠然と起業したいと考えていたものの、具体的にどんな課題を解決したいのか、どんな事業に取り組みたいのかという明確なビジョンはありませんでした。そこで、大学生になり、周りの学生たちが就職活動や将来への不安を抱えている姿を見て、まずは企業と学生をマッチングするような採用支援の仕事や、ビジネスコンテストの主催などを始めました。全国の大学を巡ってマッチングイベントを数多く手掛ける中で、比較的収益を上げることができ、その経験からさらに視野を広げたいと考えるようになりました。

世界中の学生と交流を深める中で、改めて「教育」の重要性を強く感じました。その思いを胸に、新卒で社長一人だけの教育事業の会社に入社しました。そこでは、支援いただいていた方々のおかげもあり、すぐに副社長に抜擢していただき、資金調達にも携わりました。しかし、順調に見えた矢先に、社長と株主の意見の対立から会社が立ち行かなくなり、私を含め社員が取り残されてしまう事態に直面しました。この経験は、自分自身の力不足や経験不足を痛感させられる、非常に大きな挫折でした。

この苦境を救ってくれたのは、

他ならぬ株主からの支援でした。この経験から「まずは自分一人で取り組めることをしよう」と決意しました。

当時の自己分析では、自分の「言語化する力」が高いのではないかと考えました。そこで、創業を考えている方や経営者の方の経営方針、新規事業のアイデアを言語化し、形にするサービスを始めたのです。これが、たまたま「これから起業したい」「会社を作りたい」という方々からの相談を受けるきっかけとなり、彼らと共に会社を作っていく、という活動が26歳の頃からスタートしました。

ここから私の連続起業家としての道が本格的に開かれました。創業当初の構想は、自身の「言語化能力」を核に、挑戦を志す人々を支援するという、極めて個人的な強みに根ざしたものだったのです。

 

「個」の限界から脱却

真の事業構想へ昇華

―多くの会社を立ち上げる中で、当初の「個人の能力を切り売りする」というビジネスから、現在の多様な事業展開へと変わっていったのですね。この転換点にはどのような学びがあったのでしょうか。

実は、27歳頃に一緒に会社を作ったところ、ことごとくうまくいきませんでした。当時は、個人の能力を前提としたサービス設計にとどまっており、言わば「個人商売の延長線」でしかなかったと痛感しました。また、私自身の人間としてのキャパシティも未熟で、設立した約20社の企業は、人間関係のこじれなどから休眠せざるを得ない状況に陥ってしまったのです。

初期の失敗から、私は自身の未熟さを痛感しました。そして、年齢が全てではありませんが「年上の私より経験豊富な方と一緒に仕事をしよう」と決めました。

約1〜2年間、経験豊富な方々と大企業の新規事業伴走などに携わる機会をいただきました。そこで新たな自信をつけ、再び会社づくりを決意したのが7年前のことです。以前と大きく違ったのは、事業モデルの考え方です。これまでは個人のスキルを単に切り売りするだけでしたが、それを生かして「どうやって事業を作っていくのか」という視座が足らなかったと気づきました。

具体的な例を挙げましょう。

例えば、ライティングスキルがある人が、単価数円、数万円のライティングの仕事を取っていくのは、会社化しなくても個人でできることだと思います。しかし、そのライティングスキルを使って「教育サービス」を作っていく、あるいは「プロダクション化」していくといった、段階的に発展していくような事業モデル作りが、当時の私にはできていなかったのです。後から振り返って、そう思いました。

この「個人の能力の切り売りからの脱却」が、私の事業構想を進化させる大きな転換点となりました。私は、個人のスキルを起点としつつも、それをどのように拡張し、持続可能な事業へと昇華させるかという視点を持つようになったのです。

現在では、特に地域に根差した取り組みを数多く手掛けています。長野での地域商社のような事業モデルや、千葉県銚子市での古民家再生型宿泊施設の企画開発・運営などもその一例です。また、文部科学省が探究的な学習を必須化した時代背景もあり、旅行と探究学習を組み合わせた修学旅行の企画なども手掛けています。地域から見て事業を構築していくという視点が、当時の私にはありました。

このように、私は「個人の能力」に依存するビジネスモデルから脱却し、多様な地域課題や社会の変化に対応する事業モデルを構築する方向へと、その構想を進化させていきました。

「プロデュース思考」の深化

0.1の価値を見出す哲学

―金田社長の事業における核となる「プロデュース思考」は、創業当初から現在に至るまで一貫しているとお伺いしました。この概念はどのように深化し、現在の事業に活かされているのでしょうか。

アプローチとしては「プロデュース」というものにこだわっていまして、今もそこの軸がぶれていないつもりでやっています。プロデュースという言葉は、多くの方が使っていますが、明確な概念定義はあまりないですよね。音楽やテレビ、映画などのコンテンツ産業におけるプロデュースはアメリカから輸入されたものですが、先ほどの事例でご紹介した通り「地域プロデュース」をはじめ、その幅がかなり広がっています。

私が自身の核と位置づける「プロデュース思考」は、単なる企画・運営に留まりません。

私は「挑戦したい」と思っている方とともに、価値を育んでいきたいという思いでやっています。その中で、プロデュースというアプローチを自分なりに表現し、あるいは体系化したいと思った時に、様々な方と様々なアプローチを掛け合わせていくことが、その近道になるのではないかと考えました。これは当時から今もブレずに持っていることです。

その「プロデュース思考」の核心には、「0.1の価値を見出す」という私独自の哲学があります。私は、価値の種となる「0.1」を発掘するところから始まると考えています。まだ言葉にもならない思いや、その人の光り輝く何かしらの強み、経験値にスポットライトを当てて、0.1という価値の種として定義していく。これは、徹底した対話を通じて見えてくるものだと思っています。どのようなフェーズの事業や対象においても、対話を徹底することで、この「0.1」を定義すると語ります。0.1というものが定義され、共通認識ができてくると、次にそれをどのように積み上げていくかというパズルのピースを、0.1の足し算のように組み合わせていきます。仮説検証、簡単な営業活動、重要なリソースの巻き込み、資金調達など、様々なプロセスが出てきますが、そこをどうやってリソースを調達し、プロジェクトを推進し、価値を作っていけるのか。ここにプロデュース活動のコアな価値があると思っています。

0.1を見つけた時の達成感や高揚感は大きいですね。しかし、「0.1」を定義できていれば、そこに立ち返り、全く違うアプローチで積み上げていくことができます。最初のスタートラインに立つようなイメージで、0.1を定義していく。これをプロデュースの最初の、そして最も重要な段階だと考えています。この「0.1の価値」を見出し、それを育む「プロデュース思考」こそが、私の多角的な事業展開を支える普遍的な思考の核となっているのです。

 

大学院での「問い直し」

挑戦の民主化という構想

―数多くの事業を立ち上げ、プロデュース思考を深める中で、なぜ事業構想大学院大学に入学しようと思われたのでしょうか。また、そこで得られた学びは、金田社長の構想にどのような影響を与えましたか。

プロデュース思考を深め、渋沢栄一に影響を受けながら会社づくりを我流で続けている中で、今までの活動を改めて見直したい、そしてこれからの人生をもっと豊かな、ダイナミックな事業活動にしていきたいという危機感が生まれました。プロ経営者を目指すというよりは、自分の「プロデュース」という考え方と「事業構想」というキーワードが重なり、「ここで学んでみたい」と思ったのが入学のきっかけです。

大学院での学びは、私にとって大きな転機となりました。事業構想大学院大学は、本当に様々な所属、肩書、バックグラウンドを持った方々が集まっています。年齢の垣根を越えた同期の繋がりや、先輩・後輩との繋がりが非常に強固だと感じています。講義からの学びはもちろんありますが、院生同士のディスカッションの機会が多く、そこで気づかされることや、自らアウトプットして企画を作っていくプロセスが、私にとって非常に大きかったです。

特に印象に残っているのは、指導教授からの言葉です。岸波宗洋教授のゼミでは、常に自分を表明するところから始まりますが、私があまりにも理性的に振る舞いすぎていると、「もっと本能むき出しでいいんだぞ」とアドバイスをいただきました。まさに「理性の追求こそが、本能の昇華である」というお言葉をいただき、この言葉は今も私の中で非常に大きな意味を持っています。また、松永エリック・匡史特任教授のゼミでは、自分が伝えたい本質的な価値を、いかに魅力的に相手に伝えていくかというストーリー構成の設計を徹底的に学びました。人の心を動かし、感情に訴えかけることの重要性を強く認識させられました。この二つのゼミのハイブリッドが、自分なりの事業構想計画書にまとまり、本当に入学してよかったと思っていますし、お二人の先生方には心から感謝しています。

論文の代わりに事業構想を具体的にまとめる本学独自の成果物で事業構想計画書というものがあります。ここで私は、自身の事業構想に「挑戦の民主化」という、より大きなテーマを見出しました。当初は「プロデュース思考をいかに事業構想につなげるか」という発想で考えていましたが、それを一度「否定した方がいい」というサジェッションをいただきました。プロデュース思考は今後も続けるだろうから、一度そこから引いて、本当にやりたいことは何なのか、プロデュースをしようとしたもっと根幹の動機は何か、という深掘りができたのが大きかったです。無意識のバイアス、つまり「アンコンシャスバイアス」に気づき、それを外すことで、今まで見えなかったものが見えてきたり、気づいていなかったところに思考が及ぶようになりました。これが今の実務でも非常に活きています。プロデュース思考は自分にとっての全てではなく、活動の結晶、一つの体系化されたものに過ぎない、と捉えた時に、もっと大きな構想を掲げられるようになりました。結果的に、私の事業構想計画書は「挑戦の民主化」というものになりました。プロデュースする側の側面に立っていた私が、逆側の「挑戦しようとする人」の視点に立てるようになったのです。自分の本当にやりたかったことがよりダイナミックに描けるようになりました。誰もが挑戦できる社会、誰もが挑戦を諦めない社会を目指したいです。日々の些細なことでも挑戦と捉え、それが積み重なることが当たり前になる社会。そして、出る杭は打たれるのではなく、むしろ称賛され、応援し合える社会にしていきたいのです。この「挑戦の民主化」という構想は、大学院での学びを通して、私のプロデュース思考がより普遍的な社会貢献へと昇華された結果であると考えています。

渋沢栄一の精神を現代に

「立志と忠恕」で未来を拓く

―「挑戦の民主化」という大きな構想の実現に向け、渋沢栄一の教えを現代に活かす取り組みを始められたのですね。深谷市との連携や、新たな会社の設立について詳しく聞かせていただけますか。


ありがとうございます。2025年7月3日に、株式会社渋沢栄一学という会社を深谷市に本社を置いて設立しました。私はここ3年間、深谷市では渋沢栄一政策アドバイザーを務めており、その中で「人づくりこそまちづくり」という考えを深く認識しました。渋沢栄一の精神や、彼をモデルとしたふるさと教育、アントレプレナーシップ教育に取り組む中で、深谷市の子供たちは郷土の偉人として渋沢栄一に触れる機会が多くあります。

深谷市が主催した高校生向けの「アントレプレナーシッププログラム~渋沢栄一の起業家精神に続け!深谷市をプロデュース~」の講座で登壇した際の様子

しかし、その認知度は地域によって大きな差があります。他の地域の子供たちに聞いてみると、「1万円札の人ですよね」で終わってしまうことが多いのです。渋沢栄一の教えや学びをもっと普遍的なモデルとして、全国の教育課程、そして子供たちに展開していきたいと考えました。これは深谷市の市政だけではなかなかできないことです。深谷市のために活動するのが市役所の役割ですから、そこで会社として「渋沢栄一学」を設立し、深谷市で提供してきたモデル教育やカリキュラムを深谷モデルとして、全国へ展開していく活動をまず進めることにしました。

さらに、この取り組みは最先端のテクノロジーとも融合します。深谷市や深谷市教育委員会、公益財団法人渋沢栄一記念財団の皆様とも連携し、渋沢栄一のこれまでの教えや書籍、文献をデジタル化し、AIで読み込む研究開発を進める予定です。渋沢栄一の「コアコンピテンシーモデル」をAI化することで、カリキュラム生成を容易にしたり、自律的な学習を継続できるようなAIとして、様々なプロジェクトに応用できるコアなものを作っていきたいと考えています。

この壮大な構想を支える渋沢栄一の教えとして、「論語と算盤」にも記されている「立志と忠恕(ちゅうじょ)」を挙げましょう。「立志」は志を立てて挑戦すること、「忠恕(ちゅうじょ)」は相手を思いやり、共に価値を育むこと。この二つの教えこそが、現代を生きるすべての人に必要だと強く感じています。深谷市や財団の皆様とも共通の認識ですが、渋沢栄一の偉大さを伝えることだけが教育なのではありません。彼が生きて葛藤し、作り上げていったプロセスの中に、様々な考えや精神があります。それを現代に生きる我々がどう受け取り、今に生かすのか、ここに教育の価値があると考えています。

私の「挑戦の民主化」構想は、渋沢栄一の精神を現代のテクノロジーと教育に融合させることで、未来の社会を形作る可能性を秘めているのです。

利用してほしい層としては、まずは全国の学校の生徒・児童の皆さんにお届けしたいです。深谷市をはじめ、すべての学校に導入できるのが一番理想的です。もう一つは、渋沢栄一が設立に関与した現存する185社(2019年 東京商工会議所調べ)にも、この「渋沢栄一学」を共に研究し、プロジェクトとして取り組んで社会に反映していきたいと考えています。最終的には、まさに「挑戦の民主化」という言葉の通り、これから挑戦しようと考えているすべての人に、この渋沢栄一の教えを届けていきたいと願っています。

私の構想は、渋沢栄一の歴史に学び、それを現代の技術と教育、そして「挑戦の民主化」という普遍的な問いと結びつけることで、新たな時代を切り拓く羅針盤となるでしょう。私の進化し続ける構想は、多くの経営者や新事業担当者にとって、計り知れない示唆を与えてくれるはずです。


金田隼人(かねだ はやと)
埼玉県深谷市出身。渋沢栄一に影響を受け、過去70社超の創業に関与し30社に出資。プロデュース思考を体系化し、企業・自治体・教育現場で研修を展開。ネームレスグループ代表として自律分散型のグループ経営、Team EnergyグループCPOとして様々な事業構想を実践中。