データ分析の「隙間」を埋める 澪標アナリティクスが描く、人とAIが共に働く2030年

データ分析業界に「澪標(みおつくし)」という珍しい社名を掲げる企業がある。海洋交通標識から名を取ったこの会社は、まさに企業のデータ活用における「危険水域」を知らせる役割を担ってきた。創業から10年、アカデミアと産業界の「隙間」を埋め続け、2020年にはTISインテックグループ入りで新たな進化を遂げた。博士人材を核に「人とともに働くAI」の実現を目指す同社の軌跡と、2030年に向けた構想について、創業者で代表取締役社長の井原渉氏に話を聞いた。

データ分析業界の「隙間」という課題

—アカデミアと産業界の間にどのような課題があったのでしょうか。

海洋工学の研究者として大学で海上交通のデータ分析を専門にしていた当時、企業との共同研究依頼を多くいただいていました。しかし、そこには三つの大きな壁がありました。 一つ目は、企業の機密データを大学で扱うことの難しさです。トップシークレットの情報や個人情報を、学生が触れる可能性のある環境に預けることへの抵抗感は当然のことでした。二つ目は、研究テーマの制約。大学は最先端の研究が求められるため、単純に集計すればわかるような実務的な分析は受けられません。しかし企業側にはそれができる人材がいない。三つ目は、リソースの柔軟性です。大学では外注や採用といった機動的な対応ができず、増え続ける依頼に応えきれない状況でした。 この民間のDX力と大学の持つ力の間に存在する空白地帯を埋める必要性を強く感じ、2014年に澪標アナリティクスを創業しました。

解決策としての起業

—「澪標」という社名に込めた想いをお聞かせください。

澪標は、水深0メートルを表す海洋交通標識です。ここから先に船が入ると座礁の危険があることを知らせる、いわば海の危険標識なのです。データ分析でお客様を大成功に導くことは難しいかもしれませんが、こちらに行くと危ないということは言えるはずです。お客様のビジネスの交通標識になりたいという想いを込めました。みおつくしは小倉百人一首の掛詞として使われていますが、身を尽くしにも通じ、お客様のために全力を尽くすという意味も含んでいます。 創業当初から重視したのは、データ分析人材の育成サイクルを作ることでした。当時は、データ分析ができる人材に限りがあったため、単に短期的に儲かる案件ではなく、教育の場を一緒に作っていきたいという理念に共感していただいたお客様を最優先に考えました。データ分析を担う企業としては、どれだけ事例やノウハウがあるかが勝負どころです。人を派遣して終わりのSES型ではなく、課題設定から施策の検討まで一緒に考えられる案件に注力してきたことが後の成長の基盤となりました。

専門人材による差別化

—ゲーム業界から始まり、現在は全業界対応とのことですが、どのような戦略だったのですか。

最初は完全に業界特化型でした。まずゲーム業界なら澪標(みおつくし)、と言われるだけのブランディングを確立してから、次の業界へと展開していく戦略です。現在は博士号保有者が10数名在籍し、研究室出身のメンバーを中心とした高い専門性が強みになっています。 博士人材なら誰でもいいわけではありません。研究室での研究内容が民間や社会でどう活かせるのか、役に立っているのか分からずフラストレーションを抱えている人材、そういった方々をターゲットに採用してきました。彼らは研究への情熱と同時に、社会実装への強い関心を持っています。 人材育成という観点では、創業時からエンジニアやアナリストもお客様から直接ヒアリングできるよう育成しています。生成AIで何かしたいという曖昧な要望に対して、本当は何がしたいのかを問い、お客様のニーズや課題の本質を掘り下げ、課題解決のための施策をご提案する。これは創業時から変わらない姿勢です。

TIS株式会社との資本業務提携

—2020年のグループ入りはどのような経緯だったのでしょうか。

元々、TIS株式会社とは取引関係にあり、私たちがアルゴリズムを作り、システム実装は彼らが担当という分業体制でした。しかし、どうしても接合点でボールが落ちる問題が発生していました。コンサルが描いた理想と実装の現実のギャップ、システム組み込み時の手戻りなど、無駄が多かったのです。 一緒になれば、入口のコンサルテーションから出口のシステム実装まで、シームレスにサービス提供できます。アナリストたちも、システム化やアプリケーションへの実装後の結果まで見えるようになり、次はこういうアルゴリズムの方が良かったといったフィードバックを得られるようになりました。担当はしていなくても見える領域が広がったことで、新しいことに挑戦できる環境が整いました。

生成AI時代への適応

—生成AIの登場で、顧客ニーズはどう変化していますか。

興味深いことに、相談の本質は変わっていません。以前はビッグデータがあるので何とかしてください、その後は機械学習で何とかしてください、今は生成AIで何とかしてください。キーワードが変わっただけです。 重要なのは、一度立ち止まって本当に必要なのは生成AIなのかを見極めることです。多くの場合、お客様が欲しいのは生成AIではなく、課題の解決策です。この本質を見抜く力は、今後ますます重要になるでしょう。 一方で、データサイエンティストの役割は大きく変わりつつあります。生成AIによって基礎的な分析作業は自動化され、より高度な専門性が求められるようになります。私たちも常に最先端の技術をキャッチアップし続ける必要があります。

継続的な学習と成長

—2030年に向けた「人とともに働くAI」というビジョンについて教えてください。

現在のAIは、どうしてもAIを使うことが目的化しがちです。私が目指すのは、システム改修の中に自然にAIが組み込まれ、誰もAIだと意識せずに使っている状態です。かつての機械学習がそうなりつつあるように、AIも日常業務に溶け込んでいく。そういう世界を実現したいと考えています。 実現には三つの要素が必要です。AI技術の進歩、それを扱える人材の増加、そしてハードウェアの進化。これらが揃うのが2030年頃だと考えています。 課題は人材育成です。この業界は日進月歩で、最先端を教える講師を育成する間に技術が変わってしまいます。結局、論文を読んで自分で学ぶしかない。だからこそ、自主的に学習し続けられる環境づくりと、その努力に報いる仕組みが重要です。採用時点で、そういった志向性を持つ人材を見極めることも大切ですね。 競合他社については、むしろ歓迎しています。まだまだ掘り起こされていない市場が大きく、プレイヤーが増えれば市場全体が成長します。人材不足の業界だからこそ、時には協力し合える関係でもあります。私たちは先行者優位を活かしながら、業界全体の発展に貢献していきたいと考えています。

井原 渉(いはら・わたる)

澪標アナリティクス株式会社 代表取締役

大学在学中に外資系コンサルティング会社の日本法人を設立。老舗中堅ゲーム会社にて分析部門の立上げにリーダーとして参画。同時に、大学の研究センターにおいてもアクセスログに関するデータマイニングの応用論を研究。 その後、東証1部上場企業にて国内大手通信事業会社におけるゲームやその他デジタルサービスのデータ分析・KPI設定・分析基盤構築に従事。 2014年に澪標アナリティクス株式会社を設立し、2020年TISインテックグループに参入。