焼酎業界トップの霧島酒造 最高のローカリティブランドを目指す

「黒霧島」を筆頭とする「霧島」ブランドで知られる、本格焼酎メーカーの霧島酒造。現社長の江夏順行氏が社長に就任した当時は業界8位の売上だったが、2012年の売上高で初の日本一を獲得。現在までトップメーカーの地位を守っている。同社がここまで成長できた要因とは何なのか。江夏氏に話を聞いた。

江夏 順行(霧島酒造株式会社 代表取締役社長)

「黒霧島」の開発で焼酎メーカー日本一に

九州には古くから中小の焼酎メーカーが多く、霧島酒造も、3代目の江夏順行氏が1996年に社長に就任するまでは決して大きな規模だったわけではなかった。しかし、その後急激に売上を伸ばし、2012年の焼酎メーカーの売上高ランキングで初の日本一を獲得。その後、8年連続で日本一を維持し続けている。この地位に上り詰めるまでには、どのような経緯があったのだろうか。

創業社屋を移築した霧島創業記念館「吉助」

「1990年代のバブル崩壊後、穀類焼酎は比較的堅調に推移していましたが、芋焼酎は伸び悩んでいました。当時、当社は焼酎業界で上から8番目の売上高で、宮崎県内のシェアは6割超でしたが、市場は厳しさを増し、安閑としていられる状況ではありませんでした。そんな中、1996年に当社の全てを取り仕切っていた2代目社長の江夏順吉が亡くなりました」と江夏順行氏は語る。江夏氏は、カリスマ性のあった先代社長の死に強い危機感を感じていた。これを機に、同社は新たなブランドとなる焼酎開発に着手する。

大正後期から平成にかけての長い期間、業界ではかつて焼酎に使用された「黒麹」に代わり、「白麹」を用いた焼酎が主流となっていた。同社も当時、白麹の本格芋焼酎「霧島」(現、「白霧島」)が主力商品だったが、シェアは他社の後塵を拝していたという。

「そのような状況下、芋焼酎を創業の原点に持つ当社では、『やはり芋焼酎で勝負したい』という思いが高まりました。加えて、当社の歴史の幕開けとなる1916年の初蔵出しの焼酎が、初代社長 江夏吉助による黒麹仕込みの焼酎だったこともあり、原点回帰を目指して黒麹の焼酎を懸命に模索しました」

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