乃し梅本舗 佐藤屋 ネオ和菓子で、乃し梅の魅力を若者に伝える

SNS上で数千から数十万の「いいね」がつく「ネオ和菓子」を次々と発表し、メディアにもたびたび取り上げられる人気の和菓子店が、山形市にある。1821(文政4)年創業の「乃し梅本舗 佐藤屋」だ。なぜ創業200年を超える老舗から「ネオ和菓子」が生まれたのか。その経緯を代表の佐藤慎太郎氏に尋ねた。

佐藤 慎太郎(株式会社佐藤松兵衛商店 代表取締役社長)

変革を迫られていた
和菓子屋のビジネスモデル

創業200年を超える佐藤松兵衛商店は、「乃し梅本舗 佐藤屋」として店舗展開しており、山形の伝統銘菓である「乃し梅」が看板商品だ。創業者である初代松兵衛が和菓子屋を開いたのは、江戸時代後期。当時、出羽三山(湯殿山、羽黒山、月山)詣が流行っていて、旅人にお菓子を売るところから同社の歴史は始まった。「乃し梅」を作るようになったのは2代目、3代目の頃で、鉄道ができて流通網が拡大した4代目以降は、山形のお土産やご進物として一気に売上が伸びた。7代目が率いたバブル期には、過去最大の売上を記録した。

乃し梅本舗 佐藤屋の外観

7代目の長男で、8代目の佐藤慎太郎氏は「子どもの頃は店を継ぎたくないと思っていた」と苦笑いする。

「うちは男3人兄弟で、1つ下と4つ下に弟がいますが、子どもの頃にみんなで工場で遊ぼうとしたら、職人さんに『長男にケガさせたら会社にいられなくなるからやめて』と言われたのを覚えています。また、テレビで阪神タイガースの試合を観ながら野球選手になりたいと言ったら、祖母から『なんで周りにちやほやされるのかわかる? 長男だからだよ』と言われて、トラウマになりました(笑)」

佐藤氏は運動能力が高かったこともあり、スポーツ推薦で高校、大学へ進学した。鳥取県にある大学を敢えて選んだのは、「山形からめちゃくちゃアクセスの悪い土地で、佐藤家の長男という肩書なく生きてみたかったから」と振り返る。しかし、大学4年生の時に弟たちと将来について話し合った際、やりたいことが曖昧だった自分と比べて、2人が明確な目標を持っていたことから、「それなら、俺が店を継ぐ」と腹をくくった。

大学卒業後は5年間、京都の老舗和菓子店の「末富」で修業。2007年に山形に戻り、佐藤松兵衛商店に入社した。当時はバブル期の勢いも失われており、時代の変化を感じたという。

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