ものづくりを、つくる~企業城下町で、中小企業の未来を切り開く~
(※本記事は「関東経済産業局 公式note」に2025年6月11日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

経営者の情熱を発信する“Project CHAIN”第60弾。
今回は、茨城県日立市にある相鐵株式会社の三村 泰洋(みむら たいよう)社長を取材しました。鋼材加工業のイメージを覆す、真っ赤なロッカールームや工場の壁面にある「STADIUM」の文字。「仕事をスポーツに見立てる」などの斬新な仕掛けの裏には、企業城下町でこれからのものづくりを切り開く、三村社長の熱い思いがありました。
父の仕事を継ぐため、広告代理店を退職
——会社を継いだ経緯についてお聞かせください。
創業者である父から2009年にこの会社を引き継ぎました。今でこそ、天職だと感じるくらいとてもやりがいを感じています。相鐵を継いで本当に良かったと思っていますし、父には本当に感謝しています。
ただ、元々会社を継ぐつもりは全然なく、大学卒業後は東京の広告代理店に就職しました。父にはとても厳しく育てられて、「お前には継ぐ資格は無い」というようなことをずっと言われていましたから。
ところが就職して5年ほど経ったある日、母から東京のホテルに呼び出されたんです。そこで母から「社長が病気にかかってもう長くない、日立に戻って相鐵を継いでくれないか」と涙ながらに言われて。すごく悩みましたね。会社を継ぐことは嫌で仕方なかったのですが、ただ息子としてはとても断れる感じではなくて…。その年のうちに広告代理店を退社し、日立市に戻りました。
ところが、帰ってみたら父は元気でした。実はその時の話は母が私を呼び戻すための大げさな芝居で、僕はそれにまんまと引っかかってしまったという訳です(笑)

東日本大震災によって固まった覚悟
その後、父が本当に体調を崩してしまったこともあり、入社して4年目に代表権を継ぎました。ただ、自分自身が営業として動いて、お客様を増やしたりはしていたのですが、「この会社をどうしていけばいいんだろう」ということに、自分としての答えをなかなか出せずにいました。
大きな転機となったのが、東日本大震災でした。
日立市は震度6強という大きな揺れに襲われました。工場では数百キロの鋼材が崩れ落ちてしまい、電気もしばらくは使えないような状況になってしまって。原発の事故もあり、その時は「この先一体どうなってしまうんだろう?」という不安で一杯でした。

そんな中、震災の翌日にとりあえず一人で工場に来て、散乱したガラスを片付けていたら、社員のみんなが集まって、一緒に片付けてくれて。声を出し合って数百キロの鋼材を戻したり、皆で汗をかきながら少しずつ復旧させていったんです。
文字通り身を粉にして動いている社員の姿を見て、「うちの社員は本当に凄い」と強く思いました。この会社を何とかより良くしたい、という決意がその時固まりました。

僕たちがものづくりを作っていく
——震災後に進めた取組について教えてください。
震災から3年後、創業50周年を迎えたタイミングで、「ものづくりを、つくる」というビジョンを打ち出しました。
日立市は企業城下町として知られていますが、この当時、日立製作所はビジネスをグローバルに展開するとともに、ものづくりからITなどのソリューションへと大きく舵を切ったタイミングであり、この地域での仕事は大きく減少していました。
環境が激しく変化する中で、いわゆる下請け企業の我々がこれからのものづくり自体を作っていくんだ、という思いを込めて打ち出したのがこのビジョンです。

取組の1つが「相鐵の仕事をスポーツにする」というものです。
相鐵の強みとして僕がずっと感じていたのは、『少量・多品種・短納期』という仕事のやり方と、それを実現するために社員が自ら考えてどんどん動いている、ということでした。それは父が長年かけて先輩達と一緒に作り上げた、相鐵の企業文化だったんです。
社員のそんな働きぶりを見て、「まるで、アスリートがスポーツをしているみたいだ」と感じたんです。スポーツでは、試合中は選手が状況に応じて判断します。試合中に監督の指示をいちいち待っているようではとても対応できませんよね。そこが共通している、と。
その価値を言語化してより強くしていくために、「相鐡の仕事をスポーツにする」というコンセプトを打ち出すとともに、工場を「スタジアム」に見立てて、ロッカールームの整備や外観デザイン、ロゴマーク作成などを実施しました。

最初社員のみんなは戸惑ったと思いますが(笑)、今では自分たちの強み、土台として、当たり前のものとして定着しています。また、新規採用や対外的なPRという面でも、他にはない特徴をわかりやすく示すことができたのではないかと思います。

ものづくりのネットワーク化
また、企業城下町ならではの強みを活かした「ネットワーク化」を進めています。
日立製作所からの仕事が減少する中で、営業エリアを県外にも拡げていったのですが、遠方のお客様から「こういったこともできないか?」という相談をいただくことが多くありました。当社だけでは対応できないような仕事でも、「日立市はものづくりの町だから、地域の企業の技術力や設備を活かせば対応できるよね?」と。
一方、日立市内の取引先からは「県外から仕事を取ってきて欲しい」という声を聞いていました。そこで、当社が間に入ることによって双方をうまくマッチングできるんじゃないか、と考えて始めたのが「図面丸ごと受注」という事業です。
これは、プラモデルに例えると、当社では今までパーツだけを作っていたのですが、日立地域の企業と連携してプラモデル全体を作ります、というものです。

最近では、市内の中小企業をM&Aによってグループ化し、地域内での連携を更に強化しています。
グループ化した2社は、それぞれ後継者不足や業況の悪化によって厳しい状況にありましたが、優れた技術や顧客、そして社員を抱える、地域にとって大切な企業です。グループ化によって当社の対応力も更に高まり、仕事の増加にも繋がっています。

——今後の展望についてお聞かせください。
これは日立市に限った話ではないと思いますが、企業城下町には強みや技術を持った会社がまだまだ沢山あります。その会社同士が繋がっていける時代になったと思いますし、逆に繋がっていかないと存続が難しくなってきています。
また、お客様である最終メーカーもサプライチェーンの維持に課題を抱えており、我々が繋がっていかないと仕事が成り立たなくなってきている、と感じます。当社を人の身体に例えると、これまでは末端の静脈のようなもので、仮に無くなっても大きな影響はなかったのですが、最近は少しずつ太い血管になってきている・・・という実感があります。
中小のものづくり企業同士が繋がることによって、売上の増加だけに留まらず、地域やサプライチェーンに対しても付加価値を提供できると考えています。今後も、環境の変化を捉えて企業城下町ならではのネットワークを拡げ、地域の中小企業やお客様と価値を共有していきたいです。

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- 関東経済産業局 公式note