松波酒造 必ずまた奥能登の地で奥能登の酒を!
1868(明治元)年創業の松波酒造。能登半島の先端に近い能登町で160年の歴史を刻んできたが、2024年1月1日の能登半島地震で酒蔵や母屋は全壊。それでも、様々な助けを借りて伝統の味を守り続けているのが、7代目金七聖子氏だ。諦めずに走り続け、奥能登の地での酒造り復活を目指している。
金七 聖子(松波酒造7代目)
※写真は2024年1月5日、何とか運び出した暖簾と看板を掲げる金七氏
地酒が常に地域文化に
寄り添ってきた奥能登
印象的な動画がある。映し出されるのは古い酒蔵に佇む一人の男性。松波酒造の6代目、金七政彦氏だ。酒造りへの信念を語る政彦氏のナレーションとともに、映像は、奥能登の朝焼け、100年以上使われる酒搾りの道具である槽(ふね)へと移っていく。そして蒸される酒米が上げる蒸気には、奥能登の、凛とした冬の冷気すら伝わってくるようだ。その後、居住まいを正し松波神社本殿の前に立つ政彦氏の映像とともに語られるのは、神へ捧げる酒を造り続けられることへの感謝だ。
「あれが、本来の奥能登の姿。半島の端っこで脈々と紡がれてきた文化を映像に残しました」と話すのが、7代目の金七聖子氏。映像に登場する政彦氏の長女である。この地では能登杜氏の歴史も長く、100年以上にわたり品評会や勉強会を続けている能登杜氏組合もあるという。そんな場所で育まれてきた日本酒は、季節ごとの旨い地元食材をより引き立てるものとして、また、様々な祭りで奉納される御神酒として常に人々の傍にあった。
在りし日の松波酒造。酒蔵と住居は震災で全壊したため、現在はオンライン
(https://www.o-eyama.com)で情報発信と販売を行っている
「地酒が地元文化に寄り添ってきた、そんな地域が奥能登です」
全文をご覧いただくには有料プランへのご登録が必要です。
-
記事本文残り77%
月刊「事業構想」購読会員登録で
全てご覧いただくことができます。
今すぐ無料トライアルに登録しよう!
初月無料トライアル!
- 雑誌「月刊事業構想」を送料無料でお届け
- バックナンバー含む、オリジナル記事9,000本以上が読み放題
- フォーラム・セミナーなどイベントに優先的にご招待
※無料体験後は自動的に有料購読に移行します。無料期間内に解約しても解約金は発生しません。