門 康彦・淡路市長 企業誘致を成功させ、新事業や雇用を創出

2005年から淡路市長を務める門康彦氏は、地域の融和と市の財政回復、産業活性化等に注力してきた。中でもパソナグループを筆頭にした企業誘致により、雇用創出において大きな成果を上げ、2020年度、2021年度と市の社会増減の人口は増加に転じた。これまでの取り組みと今後の展望を門市長に聞いた。

門 康彦(淡路市長)

まちづくりのコンセプトは
「いつかきっと帰りたくなる街づくり」

――総合計画で目指されている淡路市の将来像についてお聞かせください。

淡路市の総合基本計画は、2017年度から2026年度までの10年間の計画で、2022年度に後期計画に入りました。まちづくりのコンセプトは、一貫して「いつかきっと帰りたくなる街づくり」です。この言葉には3つの意味があります。1つ目は「住んでいる人たちが安全安心で快適に生活でき住み続けたくなる街づくり」、2つ目は「島外で頑張っている人たちが帰ってきて住みたくなる街づくり」、3つ目は「訪れた人たちが住んでみたくなる街づくり」です。この3つをイメージしながらまちづくりを進めています。

――淡路市の産業活性化の取り組みについてお聞かせください。

淡路市では水産業や線香の生産が盛んで、線香は全国シェアの7割を占めます。また、一番元気な産業は水産業で、漁業が頑張っていると、それが循環してまち全体が元気になります。農業は兼業の方が多く、市役所の職員にも農業や畜産業をしている人がいます。ですから産業活性化の取り組みでは、特に第一次産業の育成に注力しています。例えば後継者の育成などですが、それが持続可能なまちづくりにつながると考えています。

淡路市が全国シェアの7割を占める線香

まちづくりにしても産業振興にしても、市町村行政というものは住民と一体となって進めていくものです。我々は、まず現場の要望を聞きます。国や県の補助事業は積極的に取り入れますが、市としてできることはできるだけ自分たちで工夫しながらやっています。

企業誘致を成功させるカギは
参入企業と地元企業の融和・融合

――淡路市は、パソナグループの淡路島活性化事業や本社機能移転などにより、企業誘致の成功例として大きな注目を集めています。

当市が企業誘致への注力を始めたのは17年前、私が1期目の市長に就任してすぐです。とにかく失敗を恐れずにどんどん積極的に取り組むように指示しました。もちろん失敗もありましたが、職員に対して一切文句は言いません。責任は市長がとるので、職員はベストを尽くせばいい。そういうやり方です。それが成果につながっていったのだと思います。これまで市外から34件(28社)、市内から33件(26社)の企業を誘致しましたが、これらの誘致は、市独自の企業立地促進条例のもとで支援制度を設けて、企業が立地しやすい環境を整備したことによる成果です。

パソナグループは2008年、淡路市に農業の活性化と独立就農を目指すチャレンジファームをつくり、そこに7人の農援隊が来たのがはじまりでした。同社はそこからレストランや宿泊施設など、地域資源を生かした施設を開設したり、様々なイベントを開催したりしています。我々は場所の提案をしていきました。

パソナグループは2012年、旧市立野島小学校をリノベーションし、地域活性化拠点「のじまスコーラ」として再生

パソナグループに強く要望したのは、「本社機能の一部」ではなく、本社ごと淡路市に来てほしいということです。その方が地元に企業の本気度が伝わりますし、島外に出ていた人たちがその企業に再就職して戻って来る流れにつながるからです。実際に、淡路市の人口の社会増減は、2020年度と2021年度は連続して増加に転じました。これは企業誘致の明確な成果です。

――企業誘致に成功したからこそ見えた課題はありますか。

誘致企業と、地元企業をいかに融和・融合させるかということですね。来てくれる企業というのは強い企業ですから、雇用が生まれる反面、ヘッドハンティングも始まります。当然、待遇処遇も地元企業よりもいい。だからといって地元企業に辛抱するようにとは言えません。トータルとして淡路市全体が元気になっていけば、人が戻って来るので、地元企業にも良い影響が出ます。そういう説明を根気よく続けました。

一方、誘致企業には、都会のスピード感やノウハウをいきなり島に持ち込もうとしても無理があるので、最初は地元に合わせながら上手にやってほしいと働きかけました。今はだんだん双方とも慣れてきているところです。企業誘致における自治体の役割は、入って来る企業と地元企業の仲を取り持つパイプ役だと思っています。

点在する観光資源を線でつなぎ
面として展開する

――企業誘致は、淡路市の観光産業にも良い影響を与えているようですね。

特にパソナグループの地方創生事業により、東京での知名度が一気に上がりました。市の西海岸には真冬の越波の中でも若者の行列ができるパンケーキの店などが立ち並び賑わっています。東海岸にも様々な施設がありますし、内陸部には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りする「伊弉諾(いざなぎ)神宮」があります。

我々が目指すのは、淡路市に点在する観光資源を結んで面的に全体を生かすことです。その実現のために何が足りないのかを丁寧に拾っていく中で、船による人流が不足していることが分かりました。大鳴門橋と明石海峡大橋の両架橋によって、渡船がなくなっていたからです。明石海峡大橋の交通料は3000円超えの高い料金でしたが、交渉を重ねて900円に大幅値下げしました。

しかし、明石海峡大橋は125CC以下のバイクや自転車は通行できません。淡路島ではサイクリングが盛んなので、淡路市ではバイクや自転車も乗船できる「まりん・あわじ号」という船を建造し、明石・岩屋間を所要時間13分で運行しています。明石海峡大橋や渡船によって、大阪や神戸から通学・通勤や日帰り観光ができるようになりました。

バイクや自転車も乗船できる「まりん・あわじ号」

財政は好転、今後は持続可能な
地域づくりを後継者に引き継ぐ

――2005年より約17年間にわたって市長を務められていますが、今後の淡路市の展望をどのように描かれていますか。

淡路市は2005年に5町が合併してできた市ですが、当初から財政は破綻していましたので、まず財政を正常に戻し、それからいろいろなことをやっていこうというのが、この17年間でした。2021年度の決算で、淡路市の財政状況はほぼ好転しました。本当は10年くらいでやり遂げたかったのですが、5町合併というのはやはり特殊ですし、様々な行政改革を行いながらなので、20年程度かかってしまいましたね。

今は、持続可能な地域づくりを後継者に託していく段階にきたと思っています。淡路市の若い職員の中には、自分たちの故郷を何とかしたいという情熱や、再生のノウハウを持っている人たちが多くいます。今後は、彼らと商工会の若い人たちにタッグを組んでもらい、具体的なまちづくりに取り組んでいってもらいたいと思っています。

 

門 康彦(かど・やすひこ)
淡路市長