データをもとに健康寿命の延伸に貢献 「体力ドック」を全国へ
アスリートと児童・生徒を対象にした体力計測・分析とトレーニングサービスを展開する企業、スポーツ科学。2024年1月、中高年も対象にした新施設を日本橋三越本店に開設した。都心の老舗百貨店という特性を活かし、体力の向上を通じたシニアのウェルビーイングの実現を目指す。
子どもたちとアスリートの
科学的サポート目指し起業
「アローズラボ」は、最先端のスポーツ科学でアスリートの体力や能力を測り、数値として見える化し分析を行う民間のスポーツ科学センターだ。「アローズジム」は、小中学生専門にスポーツ科学に基づくトレーニングの場を提供している。
代表取締役である山下典秀氏は、プロスポーツチームや選手、オリンピック出場選手等をメディカル面でサポートするスポーツトレーナー。2008年の北京オリンピックで日本選手に帯同した際に、監督やコーチだけではなく、様々な分野の科学者などが一丸となって選手たちをサポートする海外チームを見たことが、スポーツ科学を日本のスポーツ界にも広げていくことを決意するきっかけとなった。
2011年、静岡県浜松市にアローズラボ&アローズジムからなるアローズスポーツ科学センターを設立。根性論も残る日本のスポーツ界で、感覚や経験に「科学」の要素を加えることが活躍できる選手を育成するためには欠かせないという考えのもと、「スポーツ科学が当たり前の世の中に」という言葉を掲げた。「具体的に言うと、測る世の中を作る、ということです。トレーニング施設は世の中にたくさんありますが、エビデンスに基づいて正しくトレーニングを行うには、まずは自分の体を知ることが不可欠。その観点から、測る施設を全国に展開していきたいとスタートしました」と山下氏。
設立以来12年間、アローズラボでは、延べ2万人以上の子どもたちの体力データを積み重ねてきた。その中で見出したのが、視力、筋力、持久力、瞬発力、跳躍力という5大基礎体力の重要性だ。「例えば視力は、動体視力、眼球運動、周辺視、瞬間視などを測定し数値化します。プロ野球選手は様々な能力が高いですが、最終的にこの目の能力が入団後の活躍の差に表れることが知られています」と話す。
そのほか、筋力の測定ではバイオデックスという機械を使い全身の筋肉を測る。例えば膝の曲げ伸ばしでは大腿の前面と後面の筋肉を比較でき、肉離れの危険性を可視化。筋肉の弱い部分も把握し、効率的に鍛えることも可能になる。持久力測定では測定用マスクを付けて走り、最大酸素摂取量、換気性作業閾値、ランニングエコノミーの3つを測定。これにより、例えばフルマラソンのタイムが予測できたり、時速何キロで心拍数をどれくらいに維持して走ればより良いタイムを出せるかが分かる。また、瞬発力を測ることで、短距離と長距離のどちらに適しているかも把握できるという。
アローズラボではこれら5大基礎体力を詳細にチェックし、各スポーツに対する競技力の偏差値を算出。競技によって重要な基礎体力は違うため、本人が希望するスポーツに対し、長けている体力とそうでない体力を可視化する。「ほか、小学生向けのスポーツ適性テストでは、向いている競技を判別します。東京都のスポーツ協会や教育委員会との協働で、将来のオリンピック選手を育成するプロジェクトもスタートしています」と話した。
日本橋三越本店に新店舗開設
大人への健康メニューを展開
スポーツ科学では現在、アローズラボやアローズジム等を全国で20施設展開している。その最新の店舗が、2024年1月にオープンしたアローズラボ&アローズジム日本橋三越本店だ。ジュニアアスリートを対象にしたアローズジムと、大人を対象にしたフィジカル検診センター・アローズラボの2つのサービスを用意した。
中でもアローズラボは、今回初めて立ち上げたサービスだ。日本橋三越本店を利用する健康への関心が高い高齢者層にフォーカス。これまでに培ったスポーツ科学的知見で、詳細な体力年齢を測定する。それを分析し、例えば転倒など日常生活におけるリスクを見える化していく。測定は一度きりではなく、定期的に実施する。受診者が「このままではいけない」という気持ちになること、そして、目標を定め定期的に測ることで「体力年齢が向上する喜び」を感じることも狙いだ。もちろん目標達成のサポートもある。これを「体力ドッグ」と名付け、企業や団体の福利厚生利用も含め、全国展開していくことも見据えている。
病気になった、またはなりそうな数値はないか、それは人間ドックで見ることができる。「しかし健康だと分かったとして、その状態を維持するために今の自分の体力年齢を測り、さらにトレーニングを通してどこまで体力を向上できたか、体力年齢が上がったか、それを測定する場所や仕組みはありません」。今後、「健康を測定」する世の中が、近い将来必ずやって来ると山下氏。「そのために、こういった施設が重要になってくる。アローズラボ&アローズジム日本橋三越本店から体力ドッグというものを発信し、人間ドッグと同じような指標として定着させたいと考えています」。
アローズラボ&アローズジム日本橋三越本店では、フィットネスに関連した物販も行う。1つが、AR型バーチャルフィットネスマシン「DIDIM」。拡張現実であるAR技術を用い、床を舞台に様々な運動ができるマシンだ。プレイヤーはセンサーやコントローラーを身に着ける必要がない。安全安心でゲーム性が高いコンテンツもあり、運動習慣を付けやすいことが特長だという。
もう1つが、室内でゴルフを練習するためのシミュレーター。ゴルファーの足元の地面の傾斜を設定できる自動傾斜台とスクリーン、ゴルファーの動きを捉える複数のカメラに、プレーする人の動きをリアルタイムに解析する骨格抽出の技術を組み合わせた。このシステムは、個人向けのみならず、シミュレーターゴルフ場などにも販売したい考えだ。
高齢でも筋肉の増大と維持が必須
健康寿命延伸の鍵に
「体力ドック」の中で特に着目しているのが筋肉だ。東京大学名誉教授で、アローズ研究所所長を務める福永哲夫氏は、「大きな社会課題である生活習慣病予防に対し、筋肉が非常にフォーカスされています。大事なのはできるだけ筋肉を貯めておくこと、これを私たちは『貯筋』と名付けています」と話す。
筋肉は収縮して力を出すと、マイオカインと総称される約30種類のホルモンを分泌する。マイオカインは体の中の組織や器官に積極的に働きかけることが知られており、脳ではマイオカインが認知機能の低下を防ぎ、また、大腸がんの細胞を抑えることも分かっている。「体を動かして筋肉をつける意義は、単に力を付け動けるようになるためだけではなく、病気予防もできること。それが今、筋肉が注目されている理由です」と福永氏。
筋肉は加齢とともに落ちていく。太ももの前にある大腿四頭筋を例にとると、普通に暮らしていれば、50代から60代では1年間で約10%の低下が見られる。若い頃は体重1kgあたり約25gの大腿四頭筋があるが、これが10gになる時点が寝たきりラインだ。
「ぎりぎり10gを越える筋肉があったとしても、風邪をひいて1、2週間動かずにいれば、すぐに10gを切り寝たきりとなるリスクが高まります。しかし、日頃運動をして20gの筋肉量を持っていれば、寝たきりラインの10gを切るまでに時間が稼げるんです。だから、日常生活でいかに動き、筋肉を動かして筋肉量を蓄えるかが大事なのです」。
筋肉を動かそうとする動作は、同時に脳を鍛えることにもなると福永氏。「力を出そうという指令は、脳から出される刺激です。だから、筋肉を動かすことは脳の神経も鍛えます。加えて、筋肉が大きな人は骨密度が高いことも分かっています」。福永氏らの研究では、すでに介護認定を受けデイサービスを利用している高齢者でも、無理をせずに楽しく運動をすることで筋肉を増やすことができることも分かっているという。「人間の体はすばらしいポテンシャルを持っています。自分の理想の体を知り、知識を持ってその理想の自分を作り上げていくんです。そういった身体教養というものを提案したい。それが人生を豊かにしてくれます」と話した。
「体力を測る世の中」が
国力の向上にもつながる
体力を測る「体力ドック」が当たり前になり、例えば雇用の際、実年齢ではなく体力年齢を重視するような社会になれば、国力の増大にもつながると山下氏は考えている。
「体力ドックを定着させ、日本のみならず世界を巻き込んだヘルスリテラシーの向上に貢献したい」と同氏は話す。さらには、スポーツ科学における測定基準の国際標準をつくることも視野に入れている。欧米でもスポーツ科学分野における測定は実施されているが、内容や測定方法はバラバラだ。標準化したスケールがあれば、各国でデータの共有も可能になる。
山下氏は、これらの構想を実現するためには他社との協業が必要だと考えている。日本橋三越本店と協力して開設した新しい業態のサービスはその端緒となるものだ。
「今後も、医療系・スポーツトレーナー養成を行う大学、専門学校、高校などとの協業や、病院や健診センターとの連携を進めていきます。様々な方々、組織を巻き込んで、さらなる成長を図りたいと考えています」。