五泉ニット工業協同組合 五泉ニットの魅力を新拠点から全国へ発信

日本一のニット産地である五泉市。五泉ニット工業協同組合はニット産業の活性化と地域ブランドの確立を目指し、ニットをテーマにした複合施設の開設や人材育成、地域活性化イベントの実施など、様々な取り組みを行っている。同組合理事長の梅田恒栄氏に、ブランド化事業の取り組みや今後の構想を聞いた。

梅田 恒栄(五泉ニット工業協同組合 理事長/株式会社ウメダニット 会長)

絹織物の産地からニット産地へ

日本一のニット産地で、婦人セーターの生産額では国内トップを誇る新潟県五泉市。多くのニット生産企業が集積しているが、もともと同地は江戸時代から繊維工業が盛んで、絹織物の名産地として栄えてきた。多くの機屋や織物工場が市内にあり、一時は絹織物の輸出も盛んだったというが、ニット産業へシフトしていったのは、終戦間際に五泉市で起こった大火がきっかけだった。

「昭和20年に五泉市で大火があり、市街地の多くが焼失しました。火災により、織物工場の織機もかなり焼かれてしまったのです。そのような中で時代の洋装化の流れもあり、ニット生産が次第に広がっていきました」と、五泉ニット工業協同組合理事長で、60年以上の歴史を持つ老舗ニットファクトリー・ウメダニット会長の梅田恒栄氏は語る。

また、ニット生産において、染色や風合いを出すために水資源の有無は非常に重要な要素だが、もともと絹織物の産地で水資源が豊富だったことも、ニットの産地が形成された大きな要因になっているという。

戦後にスタートした五泉市のニット産業は順調に伸び、1991年頃が生産のピークで、当時は約800億円の生産額があった。しかし、その後日本経済と連動しながら生産額は漸減していき、コロナ禍前の2019年頃は110~120億程度、現在は約70~80億程度で推移している。

「ニット生産地としての現在の課題は、生産企業のほとんどがOEM生産を請け負っているので、アパレル業界の状況により大きな影響を受けることです。この10年、20年はアパレル業界そのものが苦戦し、その中で海外にも相当生産が流れていますので、分母はどんどん小さくなっています。そこで、各企業はオリジナルブランドを設立するなど、アパレルブランドに依存していた体質を少しずつ切り替えようとするところが増えてきました」

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