学校制服市場でトップシェアのトンボ 新事業領域の開拓へ挑む

足袋の製造販売を祖業に、創業から140年以上の歴史を有し、岡山県の代表産業である学校制服市場でトップの地位を築いているトンボ。少子化やアパレル業界の不振といった逆風をものともせず高収益を続ける同社の強さの理由と今後の事業構想について、近藤知之社長に話を聞いた。

近藤 知之(株式会社トンボ 代表取締役社長)

足袋から学生服へ
時代に合わせ事業転換

足袋の製造販売を祖業に、1876年に創業したトンボ。ミシンを導入して機械工業化を進めながらも、熟練工による手縫いの良さも保ち、足袋業界を代表する商店へと成長した。1923年の関東大震災で物資不足に悩む人たちに迅速に対応したことで東京、新潟、東北への販路を獲得。ほどなく訪れた洋装化の波に乗って、学生服の製造販売へと事業を拡げていく。

トンボの本社工場(岡山県玉野市)

「当時の国情として、軍服をもとにした詰襟の学生服を推奨する動きがありましたので、1930年から学生服の製造販売を始めることにしたのです」と代表取締役社長の近藤知之氏は創業期の歴史を語る。

大きく潮目が変わったのは、1964年の東京五輪開催がきっかけだ。ブレザー姿で颯爽と歩く選手団の姿がテレビで放映されると、若者のファッショントレンドがカジュアル路線に振れた。1963年に年間約1000万着だった岡山県内の学生服出荷着数は、7年後には430万着に激減。多くの同業者が廃業に追い込まれていった。

「一方では、ジーンズの製造に転業し、有名ブランドに育てた企業もあります。時代の変化に対応することの大切さを実感した当時の経営陣は、1971年にスポーツウエア専用の工場を新設し、創業100周年の節目にあたる1976年には新会社を設立してヤングメンズファッションに進出しました。この思い切った方針転換が、“ブレザー制服”製造の足がかりとなりました」

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