法律学と法学の違いから考える 知識と実践の理論

2つの知識が並存している

前回は私たちが日常に触れている法律を取り上げてきたが、ここで再度整理してみよう。法律には2つの知識の体系が存在しているというのが筆者の主張である。

ひとつは、法学者が考察するような法哲学や法解釈(学)などである。この種の法律の知識は、学理や学説などと称されるものである。この知識は真理を探究するものであり、法学者やその他の人々が法律に関する知識を生み出すことに貢献しているといえる。

もうひとつは、実際の法律が使われているときに生じる知識である。たとえば、判事が判決文を書くときに、これまでの裁判例をひもとき、どのような状況のときにどのような条文を当てはめて運用するかを検討する。ここで行われているのは、これまでの裁判を振り返りどのような法的な運用をしてきたのかを反省し、その反省に基づいて判決を下している。つまり、反省に基づいた知識が生成され、実際にその知識を用いているのである。この種の知識は、実践知と呼ばれるものである。

両者の知識を比べてみると、前者の法学的知識は学術的な真理を生み出しているが法的な行為をしているわけではない。誰かが有罪になったり、何かが不法行為として認定されるという事態とは直接結びつくわけではない。後者の実践的な法解釈的な知識は、法学的な真理を探究しているわけではないが、実際に法を運用して合法であるのか、不法であるのかを実際に裁定している。このように2つの種類の知識は、それぞれ機能が違う。

筆者の専門から言い直せば、科学システムとしての法律学(すなわち、専門知)と法システムの反省理論(すなわち、実践知)という2つの知識が並立していることになる。これはどちらの知識が重要であるのかを意味しているのではない。ハイエク(2008)が指摘しているように「どのような職業においても、われわれは理論的な訓練を完了した後に、なおどれほど多くを学ばなければならないか、われわれは職業生活のいかに多くの部分を特定の仕事の修得に費やすか、そしてあらゆる職業において、人々についての知識、地域の状態についての知識、また特殊な事情についての知識」を修得しなければならないのである。

実際に我が国の法曹養成の実態に照らし合わせてみても、法曹は司法試験に合格し、司法修習後に実務につくことになる。しかし、実務家として独り立ちをするには先輩について実務の経験を積むことが一般的である。こうしたことは、法曹実務をおこなうときに法科大学院や司法試験で確認されるような学問的な法学だけではなく、実務の経験から修得される実践知が必要であることをあらわしている。

実践の理論に向けて

法システムを作動させる手掛かりとしての反省理論(実践知)と科学システムの法律学(専門知)は、互いに排他的ではない。それぞれがそれぞれの文脈で活用することがある。反省理論が科学システムを作動させる要素として使われることもあれば、法解釈のエッセンスとして法律学が使われることもある。

法システムの反省理論が科学システムの固有の文脈で使われたり、科学システムとしての法律学が法システムの観点から活用されるというように、別の機能システムでも活用可能な状態になっていることを「知識の制度化」ということができる。これまでみてきたように知識は単体では存立しえない。少なくとも知識は、ほかの知識や他の実践と必ず結びついている。

どのような機能システムでも反省理論はある。ある意味で現代社会は知識化しているといえる。こうした反省理論もふくめて知識を活用するとなると、知識をどこでどのように活用すべきかというメタ知が必要になってくる。

実践の理論という観点からいえば、法システムに関与している実務家は、法の作動にかかわっているときにどのように法実務をしているのかを記述することが求められる。法実務の出発点は、少なくともこれまでの社会のなかでどのように法実務が行われてきたのかを振り返る観察からはじまるのではないか。そうした法実務の反省がどのように法実務に適用可能なのかという観点から検討していくことが実践の理論への第一歩であろう。

 

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