水や空気のように、読みやすく美しくそぎ落とした究極の文字に注ぐ情熱

ヒラギノ、游明朝体・游ゴシック体――書籍などの紙媒体のみならず、パソコンやスマホなどで多くの人々が日々目にするフォント。これらの文字を生み出しているのが書体設計士、鳥海 修だ。可読性を最優先に追求したその文字の機能美は、プロのみならず、一般ユーザーからの支持も厚い。今年70歳。そこには常に驕らず、真摯に新たな挑戦を続ける姿があった。

文・油井なおみ

 

鳥海 修(書体設計士)

美しい空気と水の庄内平野から
東京でデザインの道へ

庄内平野が広がる自然豊かな山形県の北端の町で、鳥海修は生まれ育った。

幼い頃は、お気に入りの漫画を真似て絵を描くのが好きな子で、小学生になると車にも夢中になった。

「夏休みになると、名古屋から伯母夫婦が自動車を運転してやって来るんです。まだ自家用車を持ってる家なんてほとんどない頃だったからうれしくて。それからずっと車は好きですね」

機械にも興味を持ち工業高校へ進学。

「勉強には興味がなくて中学時代の成績はオール3。ところが高校の授業は実技が楽しくて、抜群にいい成績でした。特に機械製図。鉛筆の種類を変え、線の太さを変えて描くのが面白くて。高2で国家試験も合格しました。興味のあることしかやらないんです」

当時はF1のエンジニアになりたいと考えていたという。

「ところが、高校の友達から車のデザイナーの話を聞いた途端、一気にそちらに興味が湧いたんです。高3の12月、担任の先生に美術大学を受験したいと言ったら、今頃、何を言っているんだと呆れられて。進学校でもないし、ましてや美術大学を受験するなんて前例がなかったんです。それでも受験しようと募集要項を見たら、当日の持ち物に、カルトンとあってね。何かわからなくて、美術部の先生に聞きに行ったら、『カルトンも知らないのに受験するのか』と怒られました」

鳥海を動かすのはいつも「やりたい」という思いのみ。「理屈や現実は後から何とでもなる」と。しかし、浪人の末、入学した美大での生活は、思い描いた通りとは言い難かった。

「工業デザイン科志望だったのに、グラフィックデザイン科しか合格できなくて。当時はイタイイタイ病や水俣病が社会問題として盛んに報じられていた時代。原因となる公害を生み出すのが企業で、その宣伝を担うのがグラフィックデザイナーだと思っていたから、興味を持てなかったんです。車は好きなので、矛盾しているんですが」

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