複雑化した社会で求められる、多様な知やスキルを持つ実務家教員

Society 5.0とこれまでの社会像

狩猟社会や農耕社会などこういった「○○社会」という考え方は、社会類型と呼ばれる。

前回、社会が1.0から5.0へとバージョンアップするという話をした。どのようにして社会類型は変化(進化?)するのだろうか。Society 1.0(狩猟社会)からSociety 2.0(農耕社会)の間には「農耕技術革命」があった。同じように、2.0(農耕社会)から3.0(工業社会)の間には「産業技術革命」があり、そして3.0(工業社会)と4.0(情報社会)の間には「情報技術革命」があった。つまり、社会がバージョンアップするためには、「技術革新」が必要であるという考え方だ。この考え方は、未来学者のアルビン・トフラーの『第三の波』の主張と同様である。

では、4.0から5.0へと社会が変化するときにも、これまでと同様に「技術革新」が生じるのであろうか。「これまでの社会4.0とこれからの社会5.0」の違いでよく引き合いに出されるのは、サイバー空間とフィジカル空間が融合してシームレスになることである。しかし、よくよく考えてみると、それは「情報技術」の延長線にすぎない。だから、4.0から5.0という社会変化を考えるときには、技術革新ではない別の何かを密輸入するしかない(密輸入することが良いことなのかは別にして)。

そこで補助線を引いてみることにしよう。Society 1.0から2.0の基盤となっているのは、地理的な基盤である。狩猟採集をするにしても農耕をするにしても、いずれの社会も土地や地理的要素が不可欠な社会である。2.0と3.0の基盤となっているのは、物質的な基盤である。農耕社会では、農作物を蓄えて量を蓄えることができる。工業社会では、大量生産大量消費のように物量に重きがおかれている社会である。そして、4.0と5.0の基盤となっているのは、非物質的な基盤である。情報社会にせよ、Society 5.0にせよ目に見えない非物質的なものが牽引している社会である。ここで重要なのは、「脱物質」ではなく「非物質」である。私たちの社会は、モノなしではそもそも生きていくことができない。相対的に「非物質」的なものに価値の重きが置かれている社会であるということである。

Society 5.0とは何なのか

内閣府はSociety 5.0について、「これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました」と述べている。Society 5.0ではその問題を克服できればよいわけだ。つまり、「知識や情報が共有されて、分野横断的な連携が十分にできる」社会となることである。知識や情報が共有されるためには、自分はどんな知識や情報をもっているのか、どこにどんな情報や知識があるのかを俯瞰的に知る必要がある。また、分野横断的な連携を実現させるということは、どの知識や情報とどんな知識や情報を組み合わせれば新たな課題解決に寄与するかを創造することである。すなわち、Society 5.0は俯瞰と創造が重要な役割を果たす社会となる。

現代社会は、高度に複雑化した社会であるといわれる。社会が複雑化しているとは、単純に捉えて次のようにいえる。現代思想家のリオタールは、現代社会の「大きな物語」の終焉を唱えた。大きな物語とは、社会が進展していくなかでの共通の価値観と言える。この共通の価値観は、大まかに言ってモノを捉えるときのメガネである。同じ見え方を皆がしていれば、社会課題も同じで、課題を解決したときの見方や重要度も同じである。しかし、大きな物語がなくなり共通の価値観がなくなると、人それぞれ重きをおくものや社会の見方も多様化する。だから人それぞれに、社会課題も異なれば解決したい姿も異なるのである。人それぞれの価値観が組み合わされば、問題は当然複雑になる。だからこそ社会が高度化、複雑化したことで多様な知やスキルを要求されるようになった、といえる。