やまやコミュニケーションズ 九州の豊かな食文化を世界へ

1974年に福岡で創業した辛子明太子メーカー・やまやコミュニケーションズ。辛子明太子を主軸に、だしやもつ鍋などの博多らしい商品のほか、飲食店や農業なども手がけている。50周年を見据えて「九州から、やまやスタンダードを。」を新ビジョンに掲げた同社の事業構想を、山本社長に聞いた。

山本 正秀(株式会社やまやコミュニケーションズ 代表取締役社長 執行役員 CEO兼COO)

辛子明太子を事業の核にB to Cビジネスに注力

やまやの歴史は、1974年に山本氏の父で現・名誉会長の山本秀雄氏が水産卸問屋を辞めて、山本物産を立ち上げたところから始まる。

「父が自宅の台所で辛子明太子を作り始めて、当時4歳だった私も箱詰めを手伝ったり、配達について行ったりしていました」と山本氏は振り返る。

創業から2年で東京支店、さらに2年後には大阪支店を開設。卸問屋と積極的に取引するスタイルで、百貨店やスーパー、お土産店などへと販売を拡大。1984年に韓国、85年にアメリカに進出するなど、世界にも販路を広げて順調に成長し、福岡を代表する明太子メーカーとなった。

やまやでは、明太子の原料となるスケトウダラの卵をたらこにするところから自社で管理しているのが特徴だ。オホーツク海などの極寒の地で行われるスケトウダラ漁に社員を派遣することもあり、確かな目で卵を選別。それを調味液にじっくり168時間漬け込んで熟成させることで、やまやならではの深いコク味とまろやかな辛さを生み出す。また、明太子を使ったマヨネーズやドレッシング、いかや数の子などとの和え物、チューブタイプの明太子などの商品開発にも力を入れてきた。

創業者の長男である山本氏は、商社を経て1998年に28歳で同社に入社し、2000年に2代目の社長に就任した。

「当時は社員150人ほどで、取引のほとんどを問屋が占めていて、完全にB to Bの会社でした。そこで、私は会社の思いが直接お客様に伝わるようなB to Cのビジネスを増やしていくという方針を掲げました」

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