2020年10月号

環境会議

保健医療の視点から見る、ウイルス共生時代の社会経済

坂元 晴香(内科医、慶應義塾大学医学部 医療政策・管理学講座 特任助教)

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「つながりあった世界」で
問われる社会経済のあり方

2019年、中国は武漢市に端を発した新型コロナウイルスは、この相互につながりあった世界では瞬く間に広がり、2020年8月上旬現在、全世界で推定1700万人が感染し、68万人以上が亡くなった* 1。新型コロナウイルスの拡大は、健康・医療にとどまらず、経済・社会生活に甚大な影響を与えている。とりわけ象徴的だったのは、欧米各国に代表される、これまで「豊かで世界で最も充実した医療体制を持っている」とされた国々で軒並み医療崩壊と呼ばれる事態が生じたことであろう。これまで、「感染症」という言葉を聞いても、大半の人がどこか遠い国での出来事、貧しい国での出来事と感じていたものが、突如として自分たちにも身近なものとして感じられたのではないだろうか。

「三密」の言葉に代表されるように、新型コロナウイルスは多くの人が集まった密集した場所で感染が拡大する。大都市圏、言い換えるなら人の集約と効率性を重視した空間設計が大きな感染拡大を引き起こし、さらには年々肥大化するグローバリゼーションとそれに伴う人の往来が感染拡大にさらなる拍車をかけた。新型コロナとの共存の中で、人々は否が応でも生活スタイルの見直しを迫られており、これまで人間社会が目指してきた"社会経済のあり方"が根本から問い質されている。

人間の健康は
地球の健康があってこそ

実のところ、新型コロナウイルスの出現前から行き過ぎたグローバリゼーションとそれに伴う地球資源の消費に(さらにはそれが人の健康に与える負の影響に対して)警鐘を鳴らす声はあった。代表的なものが2015年に国連で採択されたSustainable Development Goals(SDGs、持続可能な開発目標)であろう *2。それまで人間を開発の中心に据え、世界全体が経済成長を目指し豊かになることに主眼が置かれてきた。他方で、悪化する気候変動の問題や行き過ぎた資本主義経済が生み出す格差の問題などが取り沙汰されるようになり、人間だけを中心に据えるのではなく、地球上に存在するあらゆる生命体を保護していくには何が必要なのか、この「地球」を次世代にまでよりよい環境で残していくためには何が必要なのか、文字通り「持続可能」な環境を創り、残すために必要なことが定められたのがSDGsである。

時を同じくして、国際保健分野でもPlanetary Health という言葉が聞かれるようになる。これも類似の概念で、地球環境に甚大な影響を及ぼしている人間の社会経済システムに対して真摯に向き合い、人の健康と地球環境の密接な関係に注目することを通じて、健康・福祉の増進と公平で持続可能な社会を目指すこととされている *3。人間と生態系が相互に不可分である以上、人間「だけ」が豊かに健康になるということはあり得ず、地球環境全体の保全の上に人の健康も成り立つというものである。

このようなSDGs、Planetary Health の概念が提唱され始めた中で今回の新型コロナウイルスの流行は発生した。目下、感染症をコントロールし社会経済的活動をどのように維持するかという短期的視野で対策が語られることが多いが、この新型コロナの流行は、改めて我々がSDGsやPlanetary Health の原則に立ち返るよい機会でもある。実際、日々増大する感染者数や社会・経済への影響など悪いニュースばかりが伝えられることが多いが、一方で新型コロナが地球に及ぼした正の影響も見られている。例えば、インドではロックダウンの影響で大気汚染が近年に類を見ないほど改善された。また、イタリアはベネチアでも運河の水質が劇的に改善されたとの報告もある。これまで人間社会が進めてきた「集約や効率性」「グローバリゼーション」が立ち行かなくなったとき、それが与える地球環境への正の影響を今改めて注視することが必要ではないだろうか。

新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い大規模なロックダウンが行われたインドでは、かつてないほどヒマラヤが鮮明に望めるようになったという(イメージ画像)

ワクチンや特効薬の開発にはまだしばらくの時間を要することから、当面の間、我々はこの新型コロナウイルスと共存していくことが必要である。私たちの生活がこのままでよいのか、新型コロナの世界的流行は、持続可能な地球環境のあり方を問う機会を投げかけているように思う。

「ニューノーマル」の本質は
危機を好機に変えること

日本の状況を振り返ってみても、悲観する内容ばかりでもない。これまで何年も提唱されても進まなかった働き方改革(リモートワーク、柔軟なシフト、満員電車の解消等)が今回の新型コロナで一気に加速した。また、打ち合わせや飲み会がオンラインに移行するなど、日常生活のさまざまな場面でのオンラインの導入も加速的に進んだ。教育現場でも、減った授業時間を補完するためにオンライン授業の導入、入学時期の変更等さまざまな検討が行われている。

都内有数の歓楽街である歌舞伎町では「夜の街」関連の感染が相次ぎ、あたかも感染源であるかのような報道もみられた。しかし、生きるために自粛やソーシャルディスタンシングの確保が難しい事情を抱える人々がいるという社会的背景にも目を向けなければならない(イメージ画像)

欧米ではこのような生活様式の変化を、「new normal(ニューノーマル)」という言葉で表している。日本では新しい生活様式と訳されているが、残念ながら単に感染症予防策を徹底するという域から出ていないように思われる。他方、欧米のnew normal は単に感染症予防にとどまらず、新型コロナウイルスの危機をどのように好機に変えて社会をよりよいものにアップデートしていくか、その文脈の中で語られているように思う。日本社会もぜひ、このコロナ危機を、社会をよりよく変革する好機として捉えられればと思う。

医療の分野でも、例えば新型コロナウイルスの流行期間中は早産が減ったという報告がある。これは、ロックダウンや在宅勤務により妊婦が出勤等の移動が減ったことで安静を保てる時間が増えたことが原因ではと指摘されている *4。また、日本では、4〜6月の自殺者が例年比で大幅に減ったことが報告されている *5。今後経済苦による自殺や精神疾患が増える可能性には、当然、十分留意が必要な一方で、通勤や通学スタイルの変化により、これまで職場や学校で受けていたストレスが軽減され自殺減少につながった可能性が考えられる。back to normal、コロナ以前の世界に戻ることを目指すのではなく、コロナ危機によってもたらされた正の変化は、ぜひ、今後も日本社会の中に根づかせていきたいものである。これからの私たち一人ひとりに必要なことは、今回の新型コロナウイルスがもたらした危機をどのように社会をよりよくする契機に変えていけるのかを考え、私たち一人一人がよりよい地球環境のために行動していくことであろう。

コロナ禍で顕になる
格差と脆弱性

もう一点、今回の新型コロナウイルスで忘れてはいけないのは、感染症は常に脆弱層を狙うという点である。例えば、大流行が見られたアメリカでも死者の多くは、貧困層や人種的マイノリティに所属するとされる人たちであった。このような人たちは、いわゆる肉体労働を行っている人が多くロックダウンの中でもテレワークができないため出勤せざるを得ない、ソーシャルディスタンシングを保ちにくい仕事であったと指摘されている。アメリカの州別で見ても世帯あたりの年間所得が低い州ほど、人口あたり死者数が多く出ているという報告もある。日本のように公的医療保険が整備されていないアメリカでは、医療費用が桁違いに高く、貧困層とされる人たちの医療機関での受診が金銭的負担を理由に遅れたこともまた、地域内での感染拡大につながったとする見方もある。

保健医療の分野では、2000年に入った頃から、Social Deter minants of Health(SDH、健康の社会的要因)という概念が提唱されるようになった*6。これは、人々の健康を規定するのは、生来的な要因(遺伝等)だけではなく、人種や学歴、職業、収入、居住環境等の、人間を取り巻くあらゆる社会・経済的要因が人の健康を規定するという概念である。言い換えるなら、人々の健康水準向上を目指す場合には、このような社会に存在するさまざまな「格差」への取り組みなしに社会の健康は達成し得ないというものである。先に紹介したアメリカの例はまさにこの点にかかわるもので、感染症から最も影響を受けやすい層、社会的に脆弱とされる層への感染対策なしには、また格差への配慮なしには、コロナ対策は成功しないことを物語っている。

格差への配慮、健康への社会的要因への配慮が必要なのは日本でも同様である。日本では「夜の街」が高リスクとして繰り返し名指しされているが、ここに働き手として集う人たちもまた、自粛要請、ソーシャルディスタンシングの中で必要な社会保障から漏れた人たちが一定数存在する。生きていくために、感染リスクが高い場所に止まらざるを得ない人たちに対して、社会として何をしていけるのか、その議論は残念ながら日本国内で成熟しているとは言えない。ともすると、「流行の中心地域」として、夜の街で働く人やそこに集う人たちに対して差別的な視線が投げかけられることがある。しかしながら、単に差別的な批判を繰り返すだけでは何も解決しないどころか、さらなる感染拡大を招きかねない。成熟した社会というのは、社会の隅に追いやられがちな人々に対して冷たい視線を投げつけるのではなく、彼らを包摂し、そのうえでよりよい社会をつくっていける社会であろう。そのような意味でも、今回の新型コロナが、日本社会がより包摂的な社会となる契機になることを願いたい。

参考文献
*1  Our Worl d in Data .  
https://ourworldindata.org/

*2  外務省・Japan SDGs Action Platform.SDGsとは?
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html

*3  一般社団法人 日本国際保健医療学会 国際保健用語集・
https://seesaawiki.jp/w/jaih/d/%A5%D7%A5%E9%A5%CD%A5%BF%A5%EA%A1%BC%A5%D8%A5%EB%A5%B9

*4  New York Times. During Coronavirus Lockdowns, Some Doctors Wondered; Where are the preemies?
https://www.nytimes.com/2020 /07/19/health/coronavirus-premature-birth.html#click=https://t.co/dqHWgHgQY7

*5  警察庁・ 自殺者数・
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/jisatsu.html

*6  World Health Organization. Social Determinants of Health. 
https://www.who.int/social_determinants/en/

 

坂元 晴香(さかもと・はるか)
内科医、慶應義塾大学医学部 医療政策・管理学講座 特任助教

 

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