人の交流が切り拓く、新たな文化の醸成

開発途上国の人材育成、制度構築、インフラ整備、また企業の海外展開支援などを手がける独立行政法人国際協力機構(JICA)。その国内拠点のひとつであるJICA横浜センターは、国際協力の先駆者であった日本人移住者に関する歴史を紐解く海外移住資料館を運営している。「われら新世界に参加す」のコンセプトを現代に伝え、日系移民文化の正しい理解と研究を体系的に進めようとしている。

元号も改まり新時代への意識がいっそう高まるなか、アフリカ開発会議(TICAD)やラグビーW杯の開催を控える横浜から、どのような情報を世界へと発信し、文化交流につなげていくのか。

熊谷 晃子(独立行政法人 国際協力機構(JICA)横浜センター所長、海外移住資料館 館長)

 

 

移民は国際協力の先駆者
仕事を奪う存在ではない

2019年4月1日、外国人労働者の受け入れを拡大する「改正出入国管理法」が施行された。これにより、人手不足が深刻化している介護や建設などの業種で、新たな在留資格「特定技能」を持つ外国人の受け入れが始まる。今後5年間で、新たに最大34・5万人の外国人労働者が来日することが見込まれている。法律改正について様々な意見が飛び交う中、「移民に自分たちの仕事が奪われるのではないか」といったネガティブな反応もあるようだが、JICA横浜センター所長で海外移住資料館館長も務める熊谷晃子氏は、「過度におののくことはありません。日本も、かつては移民を送り出す側の国だったのですから。長い歴史の中では、『ついこの間』まで、日本人移民が世界に受け入れられていたという事実を、広く正しく認識してもらいたいと思います」と語る。

社会の変革期にあって、日本に入ってくる外国人就労者に対し手を差し伸べられることは、各種情報提供や語学面のサポートだけに留まらない。これら、自治体等が力を入れる支援の他にも、受け入れる立場である日本人に対するマインドセットのような面も重要であり、これらにもJICAは本領を発揮できると言えそうだ。

そこで注目されるのが、JICAの国内拠点のうち、横浜センターに存在する海外移住資料館(2002年10月開設)の存在である。コンセプトに掲げる「われら新世界に参加す」というフレーズは、同資料館の監修者である梅棹忠夫氏(元国立民族学博物館・館長)が、1978年にブラジル日本人移住70周年を記念した国際シンポジウムで講演を行った際のタイトルから取られたものだ。「移民は新天地で新たな文明形成に参画した国際協力の先駆者であるという思いが込められています。ブラジルでは同年、日本移民史料館が開館し、このコンセプトをテーマにしています。当館もこのテーマを基本理念として採用し創設され、日本から移住した人たちが、新文明への参加者として受け入れられ、地域に貢献したことを紹介しています」。

日本人移住者の歩みを展示した館内の模様。

送る側にも受ける側にも
良いケミストリーが起こる

資料館の常設展示室に入ると、まず大きなスクリーンに人類700万年の移動の歴史が映し出される。そして、鎖国の影響で海外進出が遅れていた日本が、明治維新前後に新世界を求めて旅立ったところから展示が始まる。出稼ぎの時代、定住の時代を経て、戦中そして戦後へと時代を追って移民の歴史を紐解いていく。地域としては、中南米を中心に日本人移民が多かったアメリカ(ハワイを含む)、またカナダまで幅広いエリアを網羅。年表や写真はもちろん、大型映像や模型、標本なども駆使し、移住の背景や道のり、移民の暮らしや仕事ぶり、コミュニティ形成などについて紹介している。

「海外移住資料館は、資料の収集・保管のほか、調査・研究、展示・教育の役割を担っています。JICAの前身組織が、戦後に国の政策による移住事業を行った頃からの蓄積があるため中南米の資料は比較的充実していますが、研究・調査が充分に進んでいない分野もまだあります。だからこそ、多くの人に日本人移民の歴史を"正しく"理解していただき、興味を持って伝え広めていただけるようにすることが重要だと考えています。日本人移民が、どんなとき、どんな思いで外国に赴き、どんな立場でどんな役割を果たしたのかを理解すれば、日本にやってくる外国人就労者をポジティブに迎え入れる土壌を育むことができると思うからです」。

土壌を育むという意味で、海外移住資料館は、小・中・高校生の教育・学習の場としても機能する。独自の学習プログラム・教育ツールが充実していることに加え、入館料無料という経済的負担の軽さもあり、修学旅行など課外学習の訪問先としてより一層活用してもらうべく、各地教育委員会や旅行会社への働きかけも進めようとしている。

一方、日系三世、四世といった海外移住者の子弟にとっては、自身のルーツやアイデンティティを確認する場となる。JICA横浜センターには、中南米などの日系社会における日系人子弟(中学生、高校生)を対象に、日本人の海外移住の歴史、日本の文化・習慣、そして現在の日本について学び、日本に対する理解を深める「日系社会次世代育成研修」プログラムがあり、年間で中学生約50名、高校生約30名を受け入れている。期間中、講義・見学等を通して、日本の歴史・文化・技術を学ぶほか、ホームステイで実際の日本の生活を体験し、横浜市内の学校への体験入学や、同世代の日本の若者との交流・意見交換を通して日本に対する理解を促す。

「たとえば、日本語を学ぶモチベーションが低かった子が、自分のルーツを知ることで意識がガラリと変わり、意欲的に学ぶようになったりします。全世界で約360万人いると推計される移住者・日系人は、さまざまな分野で活躍し、移住先の国や地域の発展や、日本との交流において重要な役割を果たしてきました。たとえば、野菜、花き、穀物栽培等、現地の農業発展に日系人が多大な貢献をしてきました。そうした現実を知ることで、アイデンティティに誇りを持てるようになるのです」。

また、ポジティブな変化は、日本の受け入れ側にも及ぶ。海外のグループを研修に招く際、横浜の学校に依頼して体験授業を実施することもあるが、学校関係者からも「良いケミストリー(化学反応)があった」と喜ばれ、継続の意向が出ることも多いという。

50人を超す日系ビッグ・ファミリーの家族写真(正面)。資料館は日系移民のオーラル・ヒストリー(口述記録)にも取り組む。

国際都市・横浜だからできる
伝統文化の発信と継承を

今年、横浜港開港160周年という大きな節目を迎えた横浜市では、インナー・ハーバーの都市デザイン構想が推し進められている。さらに、8月に第7回アフリカ開発会議(TICAD)が、9月にラグビーワールドカップ(W杯)の準決勝・決勝戦が開催されるなど、市内で大規模な国際イベントが相次ぐ。もちろん、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催も隣県に少なからぬインパクトを与えることは間違いなく、未来を見据えた取り組みがますます盛んになりそうだ。

「2030年までのSDGs未来都市としての取り組みにも力を入れることになりそうですね。横浜センターに赴任してまだ半年にもなりませんが、この地域の先駆性は本当に素晴らしいなと感動しています。市役所ひとつとっても、国際局という専門部署が局レベルで設置されており、その下に地域担当科が配され、さらにTICAD担当まで置かれているというのは特筆すべきことではないでしょうか。JICAも開発協力大綱のもと、『地域との結節点となる』べく、各センターが事業展開しております。海外移住資料館を持つ横浜センターは、地元横浜と所掌の神奈川・山梨両県と手を携えつつ、また移住関連業務では全国を俯瞰して取り組んでおります」。

海外移住資料館という施設を併設することで、人びとの送出側、受入側双方に理解と敬意を示し、両者のやりとりをサポートし続けてきたJICA横浜センター。6月には、「海外移住の日(6月18日)」にちなみ、日本の「海外移住の日」にまつわる歴史を紹介し、「国際日系デー」に際して寄せられた、世界の日系人からのメッセージを紹介する展示を計画している。

また、各種研修事業に関しては、5Sカイゼンといったプログラムも続けながら、「日系研修」ならではの更にユニークな取り組みも行っている。また、2018年から受講対象が広がり、日系人のみならず、日系人に嫁いで婦人会で活躍している女性たちや、日系の病院で働いている医療従事者など日系人コミュニティを支えている非日系人も受講できるようになった。

「日常生活に根付いた日本食や和菓子から、和太鼓のようなものに至るまで、日本の伝統文化を正しく学び、自国に戻ってからも継承してもらえるような協力も行っています。なお、研修員として受け入れている外国人の皆さんにリソースとなってもらって日本国内に情報を発信したり、中小企業海外展開支援のプログラムを研修に組み合わせたりと、幅広い事業分野を活かす工夫をしています」と熊谷館長。今後、外国人就労者が増えていけば、企業を対象とした人権研修のプログラム等として、海外移住資料館やJICAの支援事業を利用する動きが活発になることが期待される。

 

熊谷 晃子(くまがい・みつこ)
独立行政法人 国際協力機構(JICA)横浜センター所長、海外移住資料館 館長

 

『人間会議2019年夏号』

『人間会議』は「哲学を生活に活かし、人間力を磨く」を理念とし、社会の課題に対して幅広く問題意識を持つ人々と共に未来を考える雑誌です。
特集1 日本から世界へ文化をひらく
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(発売日:6月5日)

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