ジャパンケアサービスへの投資に見る 社会投資家としての真骨頂

スタートアップ投資の黎明期から活躍するベンチャーキャピタリストのキャリアから、VC史を振り返る本連載。3回目は、高齢化が進み始めた社会の中で、介護事業者として初めて上場した企業のケースだ。今は巨大市場の介護事業だが、当初、成長予測は難しかった。投資を判断した背景を見てみよう。

「社会起業家」という言葉をご存知だろうか。社会起業家は、変革の担い手として社会課題を事業(ビジネス)によって解決する人たちと言えば良いだろうか。例えば、貧困にあえぐ外国への経済的支援、幼児保育、介護など、公的機関によって提供されると一般的に考えられるようなサービスを事業化して解決に向けて活動していこう起業家である。

「社会投資家」村口和孝を
形作った北海道での経験

これに対して、本連載で取り上げているベンチャーキャピタリスト、村口和孝氏は「社会投資家」とも言える存在である。学生時代にシェイクスピア演劇に熱中しながら、公害などの社会問題が経済学の主たるテーマとして捉えられるようになったこともあって、村口氏は次第に社会的に意義のある経済活動、とりわけ「投資活動」がいかなるものかを問題意識として持つようになった。それは日本合同ファイナンス(JAFCO)入社後、そして日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)を創設してからの活動にも影響を及ぼしており、村口氏の投資方針は将来の技術進化や社会の変革を見据えている。

村口氏は常々「一定の規模にあるあらゆる企業が上場できる」といい、投資を行うプロセスの中で資金面を中心としたビジネスモデルの構築を支援する。投資を受けた企業、あるいは起業家は、村口氏の薫陶を受けつつ、事業の継続性と成長を図りながら、株式上場という目標を設定する。その過程の中でさまざまな事件、トラブルが発生し、事業そのものの継続が危うくなるようなシーンの中で、村口氏は数多くの株式上場企業を支援し、起業家の持つ事業意欲と強い意志を物心両面で支えてきた。

そうした村口氏の投資方針に大きく影響したのが、JAFCO在籍時に長い時間を過ごした北海道での経験であった。そこで今回は、「社会投資家」としてのあり方を決定づけた契機の1つである株式会社ジャパンケアサービス(ジャパンケア)への投資事例を紹介する。

ジャパンケアはいち早く介護事業に取り組んできた企業だ。右から2人目が対馬氏

ジャパンケアは、1990年、対馬徳昭氏が札幌市豊平区において在宅介護や介護用品機器の販売を目的として設立した企業である。設立7年後の1997年10月に店頭市場(JASDAQの前身)への上場を果たしている。その後、1997年の介護保険法の成立、2000年の同法の施行を受けて事業を拡大た。2012年には株式会社メッセージと経営統合し、現在はSOMPOケア株式会社となっている。また、2023年現在、対馬氏はノテ福祉会、日本医療大学を含む、つしま医療福祉グループの代表を務めている。

今回はジャパンケアの事例をもとに、投資家としての村口氏が、その時点ではまだ世に顕れていない新規事業の見立てをいかに行ってきたのかを述べていくことにしよう。

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