「実践の理論」の構築を通じて 実務家教員の作り出す知

実務家教員の研究能力

実務家教員は「実践の現場で生じる実務」を教えるだけでよいわけではないと、筆者は考えている。実務家教員に研究能力が必要なのだろうかと考える者もいるだろう。しかし、実務家教員には研究能力が必須のものである。実務家教員に研究能力を求めない者は、おそらく「研究能力」の意味を狭義にとらえているのではないだろうか。つまり、学会発表や論文の執筆、学術誌への掲載などを研究と考えているのだろう。もちろん、それは研究能力を示す明確な形であり、学術的な業績を持つことは実務家教員にとっても重要ではある。しかし、学術業績のみを研究能力の証とすることは有益ではない。

「新たな知見」を生み出すのが研究

研究とは何か。一つの答えは、「新しい知識の発見や創造」である。たとえば暗黙知とは、言語化されていない知識として知られる。それらを言葉にし、形式知にすることこそが「新しい知識の発見や創造」の一つなのだ。研究能力は「新たな知見」を生み出す能力であり、より多角的で多層的な視点から考えることができる。ただし実務家教員が唱える持論はすべてが実践知になるわけではない。実務家教員の研究能力とは、実務経験を言語化し、誰もが納得し実際の現場で活用できる実践知にする能力を指しているといえる。

「実践の理論」を構築する

実務家教員が関与する実践知としては、先に述べた「実践の理論」が重要である。しかしながら「実践の理論」そのものの定義は明確になっていない。しかし、文脈から考えれば、理論と実践を結びつけるものであり、職業実践や社会的な課題解決に貢献できる知識体系と言える。

したがって、実務家教員は自身の実務経験を振り返り、実践の理論(実務を反省し、理論化すること)を構築する必要がある。ただ実務経験を振り返るだけでは、それは個人の持論や昔話に過ぎない。実務家教員は実務を省察し、論理的に構築し、持論を実践の理論に昇華させる必要がある(その方法もまだ研究の途上であると思うが)。

実務家教員に求められるのは、実践の理論を創造するだけではない。彼らは創造した実践の理論を普及させ、活用させることにも責任を持っている。そのためには、2つの観点に注意を払う必要がある。まず、創造された実践の理論が社会のどの領域や場面で活用されるのかを明確にすることです。さらに、「実践の理論」自体を反省し、相対化する視点も重要である。

前者の観点について述べると、実践知や実践の理論は、社会に広く存在する知見や経験知、暗黙知を形式的な知識に結晶化させたものである。しかし、それらは形式的知識としてまとめられたに過ぎない。したがって、実践知や実践の理論が社会や産業のどのような領域や場面で活用され、どのような役割を果たすのか、その布置を明らかにする必要がある。また、「実践の理論」自体も、このような実践的知識の布置を含んでいるべきであると筆者は考えている。つまり、抽象的な概念と具体的な実践の相互作用が「実践の理論」に組み込まれていると言える。