人気の「みしまコロッケ」を世界へ 地域一体でご当地グルメを開発

東レ三島工場の設立に合わせ、専門協力会社として設立された東平商会。多角化の中から生まれた食品事業で、地元自治体の特産物の発掘と、商品化を支援する。ご当地グルメを開発し、国内だけでなく世界中へ発信することを目指している。

山本雅弘 東平商会 代表取締役社長

駿河湾の東側、伊豆半島の付け根にあたる地域には、第二次世界大戦後から高度成長期にかけて、多くの企業が工場を建設した。この地域は、工業用水の確保が容易で、港湾へのアクセスが良く、峠を越えれば京浜工業地帯がある。そして、進出した工場の周囲には、その工場にサービスを提供する様々な企業が生まれた。

東平商会は、1957年、東レ三島工場の専門協力会社として設立された企業だ。「三島工場の立ち上げにかかわったのが三井物産だったご縁で、物産OBだった祖父が、69歳で創業したのが、東平商会です」と、2007年に同社を承継した3代目社長の山本雅弘氏は話す。

大工場を核にした事業展開

高度成長期を迎え、合成繊維の生産は拡大していた。当初は、東レ三島工場内の運搬作業などを請け負っていた東平商会も、徐々に業務範囲を広げた。「祖父は商社出身だったこともあり、経営の多角化に対する情熱がありました」と山本氏は振り返る。当時の経営多角化は、顧客からの要望に応じる形で進んでいった。

当初、「東レへの恩返し」として、東レ製品を販売する部門である産業資材部を設けた。この部門が、小型船舶の内装材をヤマハ発動機に売り込んだところ、「加工もしてもらえないか」という要望が出た。そこでそのための工場を開設する、といった具合だ。なお、船舶の内装材の生産ノウハウは、ショッピングモールなどでよく見かけるキッズスペース用クッションの生産にもつながっている。同様に、落石防止網など土木資材を販売していたところ「施工も」と頼まれ、土木工事業部の誕生につながった。

2014年に撤退したが、同社は長らくプリント基板や電子機器も手がけていた。1978年に発売され、大ブームになった「スペースインベーダー」を生産していたこともある。喫茶店などに設置されたテーブル型ゲームの相当量は東平商会製だったという。

現在、同社の売上の7割は食品事業が占める。こちらは、東レ製のナイロン漁網の購入を日魯漁業(現在のマルハニチロ)に持ち掛けたところ、引き換えに魚加工品の冷凍食品の販売を提案されたことがきっかけだった。

「東平商会を通じて、東レ三島工場内で販売するのはどうか、という話でしたが、当時の冷凍食品はおいしくなかったのです。しかし他社製品を試すなどの検討を重ね、次第に工場や事業所内の給食用や学校給食、外食産業向けに冷食を卸すようになりました」。

東平商会の冷凍食品の顧客には、地元の学校や事業所だけでなく、伊豆・箱根の宿泊施設も含まれていた。このネットワークが、ご当地グルメの開発ではプラスに働いた。

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