成長は「常識の否定」から始まる メニコンに受け継がれる独創の力

非常識の中にこそ、新しい常識がある――。近年も過去最高益を更新し続けるなど、好調な業績を維持するコンタクトレンズ国内最大手、メニコン。同社の歴史は、「人真似をしない」という信念に支えられている。

田中 英成(メニコン 代表執行役社長)

メニコンの起源は1950年、名古屋市内の眼鏡店で丁稚奉公をしていた創業者・田中恭一氏が、ある米軍将校夫人と出会ったことに始まる。恭一氏は、将校夫人からコンタクトレンズの話を聞いたが、実物を見ることはできなかった。

そうした状況に直面しても、ほとんどの人は、その場だけの話で終わるだろう。恭一氏が違ったのは「アメリカ人にできて、自分にできないはずがない」と闘志を燃やしたことだ。

恭一氏は自分の目、家族の目を観察することから始め、飛行機(戦闘機)に使用されていた風防ガラスを黒目のサイズに丸く削り、自分の目に入れることを繰り返した。

そして1951年2月、「角膜コンタクトレンズ」のプロトタイプを完成させた。「角膜コンタクトレンズ」とは黒目部分だけを覆うタイプだが、当時、一部の眼科医で研究されていたのは白目まで覆う直径の大きな「強角膜レンズ」だった。白目まで覆う大きな形状にすることで、目に入れても安定すると考えられていたのである。

しかし、実物も見ずに開発していた恭一氏は、そうした「常識」に縛られることなく、全くの独創で現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ形状にたどり着き、事業化を成し遂げた。

1954年、日本初の角膜コンタクトレンズの販売を開始。1957年には、メニコンの前身の会社を設立した。そして、その後も「人真似をしない」姿勢を貫いた商品開発を行い、日本におけるコンタクトレンズのパイオニアとなったのである。

創業者、田中恭一氏の研究ノート。恭一氏は、独学でコンタクトレンズの開発を一から成し遂げた

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