ラジオが届ける「町野の今」 被災地の住民を声でつなぐ 復興の道のり、共に未来へ
(※本記事は日本政策金融公庫が発行する広報誌「日本公庫つなぐ」の第38号<2026年7月発行>で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
ラジオから流れるその声は和やかで温かく、そして頼もしい。震災と豪雨による土砂崩れや道路の損壊で1年に2度も町全体が孤立状態に陥り、今なお被害の爪痕が方々に残る石川県輪島市の町野地区では、地元の有志が災害FM「まちのラジオ」を通じて日々の生活に必要なさまざまな情報を届けている。「町野の今」を伝える地域の放送局は、被災地の住民を声でつなぎ、復興への道のりを未来に向けて共に歩もうとしている。
仮設商店街にプレハブのスタジオ
「まちのラジオ」は能登半島地震から約1年半後の2025年7月、大規模災害の被災地支援を目的とする「臨時災害放送局」(災害FM)として開局した。町の中心部にある仮設商店街「まちのテラス」の一角、コンテナハウスを改造したスタジオから町野を中心とする約1400世帯に向けて24時間電波を飛ばしている。キャッチフレーズは「みんなで作るまちのラジオ」だ。
月曜から金曜まで週5日、正午から1時間半にわたって生放送する看板情報番組「まちのWA!」は、消防士や農家、塗装業などを本業とする地元在住スタッフが日替わりでパーソナリティーを務め、天気や交通、買い物関連の他、行政からのお知らせやイベント告知など生活情報をきめ細かく紹介。身近な話題をテーマに繰り広げられるトークに軽快な音楽、町内行事のリポートや住民インタビューなど盛りだくさんの内容で憩いのひとときを提供している。
「ただいるだけじゃ何も始まらない」
この小さな放送局は、20代から50代を中心とする地区の有志による「町野復興プロジェクト実行委員会」(町プロ)が立ち上げた。代表理事で放送局の中心的メンバーでもある山下祐介氏は「ラジオを軸にしたコミュニティーづくりで復興を加速させたかった」と語る。
町プロができたのは震災から1カ月後の2024年2月。まだ多くの人が避難所暮らしで、水道はいつ復旧するか分からず、電気がつながっていない家もあるという中でのことだった。生活インフラ復旧の見通しも見えていなかったが、そのうち復興という話になると考えた山下氏らは「このまま何もせずにただいるだけじゃ何も始まらない」と奮起し、1日も早く町野を魅力ある場所として復興させるための自主的な組織を設立した。
みんなが笑える日をつくりたい
決めたのは「みんなが笑える日をつくろう」ということ。慣れない避難生活で張り詰めている地域の人たちに笑顔を取り戻すために、まずは4月の頭に花見イベントの「桜フェス」を開いた。桜はまだ咲いていなかったが、二次避難で町野の外に出た人たちも顔を見せ、久々に地区はにぎわった。手作りのステージではカラオケ大会が催され、避難所の門限だった夜8時近くまで盛り上がった。5月にはバーベキュー大会、6月は夜空の下の映画上映会と、誰もが楽しめるイベントを次々と開催し、年末までカレンダーが予定で埋まった。
そうして手応えを感じ始めた矢先の9月、記録的な豪雨が奥能登を襲った。町野地区も押し寄せる泥と流木やごみで埋まり、震災から1年もたたないタイミングでの二重被災に、住民からは「さすがにもういいわ」「心折れたわ」という諦めにも似た声が上がった。地区を離れる決断をした人もいた。
「このままではいけない」。後片付けを手伝ってくれるボランティアの受け入れセンターを急きょ立ち上げ、年末までに延べ3400人のボランティアを呼び込んだ。震災から1年がたっていた。
地域のためのラジオ局が欲しい
ラジオ局開設は町がバラバラになるのを食い止めようともがく中で出た話だった。豪雨の前の初夏ごろから仮設住宅への入居が進み、避難所で地域のニーズを拾い上げることが難しくなっていた。SNSを使うことも考えたが、住民の多くがお年寄りの町野地区では難しい。そんな時に臨時災害放送局の制度の存在をニュースで知った。
震災と豪雨という未曽有の災害に直面し「必要な情報が届かない」という声をたくさん聞いた。誤った話が伝わって混乱する場面も見てきた。地域密着の災害FMならば、生活圏の人たちに情報を直接流すことができるのではないか。地域のつながりを維持し、コミュニティーを元気にするためにも「ラジオをやったら良くない?」(山下氏)となった。
ボランティアに来てくれる人たちに「ラジオできないですかね?」と尋ねて回るうちに、東日本大震災後の宮城県女川町で5年間にわたって発信を続けた臨時災害放送局「女川さいがいFM」の運営メンバーに話が伝わった。能登まで来てくれて、ラジオをやりたいという山下氏らに協力を約束してくれた。
5時間の実験放送で「やれる」と確信
「地元の人がメインで運営していかないと続かないよ」とアドバイスされ、疲弊した地元でどう人を確保したものかと悩んでいると「実験放送をしてみませんか」と提案された。
背中を押される形で、総務省などの協力も得て2025年2月にお試しで放送を実施。元NHKアナウンサーの武内陶子さんらに司会をお願いし、5時間の生放送で地区住民の現在の暮らしぶりを紹介してもらった。
スタジオとなった輪島市役所の町野支所や、仮設住宅に設けた中継所には計250人以上の住民が駆け付け、インターネットの同時配信で放送を聴いてくれた金沢や県外の人からもメッセージやリクエストが届いた。
「顔の思い浮かぶ人が地元の話で盛り上がっているのがいい」と言われ、1日限りと断ってあったのに「次はいつですか?」と声を掛けられた。町プロからも「手伝いたい」という人が現れ、事は一気に動き出した。
放送局免許を所管する総務省や取得主体となってもらう輪島市と折衝。女川さいがいFMの後継団体で災害FMの立ち上げや運営を支援している一般社団法人「オナガワエフエム」などから機材の提供を受けることも決まった。放送局運営のノウハウ取得のために1週間の「合宿」も受け入れてもらった。
山下氏らは女川町に赴き、町の人のインタビューも交えた60分の放送をユーチューブでライブ配信するなど「しゃべり」のトレーニングを重ねた。初めての体験に「ここまでできないものかと思った」と山下氏は振り返るが、被災地の住民自らが地域の情報を発信していく「まちのラジオ」のスタイルはこの時に培われた。
被災者だから分かることがある
町プロで災害FMをはじめとするさまざまなプロジェクトを引っ張ってきた山下氏は、町野の金蔵 地区で稲作を営む米農家だ。金沢市で育ち、大学院修了後は法曹の道を目指して司法試験の勉強をしていたが、祖父母が守ってきた田んぼを継ぐ人がいなくなり、「なくなってしまうのはもったいない」と一念発起して、10年前に米農家になった。
高齢化が進み後継者がいなくなった周囲の田んぼも引き継ぎながら、わずか4年で作付面積を約4倍の7ヘクタールに増やし、さらに一時は約10ヘクタールまで広げた。収穫した米をどうやって売っていくか試行錯誤し、妻と共に米粉100%のベーグルを開発。海が見える地元の丘にカフェも開いた。
震災と豪雨はそんな生活をのみ込んでいった。稲作の規模は一気に1割以下になり、客足好調だったカフェも目の前の法面崩落で建物の土台に亀裂が入って使えなくなってしまった。できる範囲で米作りを続け、仮設商店街で米粉を使ったお菓子を販売しているが、カフェを再建し自ら栽培した米で作ったベーグルを再び出せる日がいつ来るかはまだ見通せていない。
「まちのラジオ」のスタッフには大事な家族を失ったメンバーもいる。いろんな困り事や不安を町の誰もが抱えている。ラジオで町のみんなをつなげられればいいと感じている。
毎日の生放送を昼間にしたのは、仕事をしている人もお昼休みで聴きやすいだろうと考えてのことだ。生放送中のスタジオにフラッと顔を出す町の人に一言しゃべってもらうことも多い。番組に対するリクエストを受け付けるボックスは地区内外の13カ所に設けている。町の小中学校では、給食を食べながら「まちのWA!」を聞いているという。
目指すは魅力あふれる「一流の田舎」
ラジオをやっていて良かったと思うのは、聴いてもらえていることだ。豪雨被害に遭ったことで地区の人たちは雨の情報に敏感だ。昨年9月に大雨で土砂災害警戒情報(当時)が出たときは、臨時で午前3時半に道路の通行止め情報を流した。誰が聴いているのかと思っていたら、新聞配達の人に「すごく助かった」と感謝され、自分たちの流す情報が役に立っていることを実感した。行政からのお知らせなどは、必要なことを極力かみ砕いてタイムリーに伝えるよう心がけている。
今年の春に放送されたNHK夜ドラ「ラジオスター」では、「まちのラジオ」とそれにまつわる人々を取材して作られたことから、全国的にも注目を集めた。今年3月からは「まちのラジオ」としてネット配信も始めた。都会の人のための放送をするつもりはないけれど、ちょっと興味を持ってくれた人が町野の魅力に触れるきっかけになればと山下氏は願っている。
町野が目指すのは魅力あふれる「一流の田舎」だ。世界農業遺産にも認定された「能登の里山里海」の自然豊かな風土を多くの人に知ってもらいたいし、何よりも住んでいる人に町野の暮らしを楽しんでもらいたい。町プロでは、復興を通じた魅力あるまちづくりについて住民自らが話し合う「まちのみらいキャンバス」というプロジェクトも進めているが、そうした場に積極的に出てこられない人もいる。「ラジオが町のみんなの意見を集約するツールの一つになれば、多くの話が聴けて、それが反映されて、いい町になるんじゃないか」。山下氏はそう考えている。
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