奈良時代に遡る「飛騨の匠」の技が今も。木を生かす飛騨高山の美しい家具作り

(※本記事は経済産業省が運営するウェブメディア「METI Journal オンライン」に2026年8月25日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

出張で、岐阜県高山市を訪れた。旧国名「飛騨」の中心地であり、「飛騨高山」とも呼ばれる歴史ある街だ。JR高山駅を降りて東に歩いて行くと、10分ほどで古い街並みが現れてくる。江戸時代の風情が漂い、どこか懐かしい。

ここはかつて江戸幕府の直轄地だった。代官・郡代所の跡である「高山陣屋」は、国の史跡に指定されている。飛騨の地がどうして幕府の直轄となったのか。その理由は定かではないが、高山陣屋のホームページでは、「豊富な山林資源が背景にあったと言われています」と説明している。そして奈良時代から「飛騨の匠」と言われる木工職人集団が平城宮の造営や大規模寺院の建立に活躍したという。そして今、この地では木工家具作りが盛んだ。1300年もの昔の飛騨の匠の技と心が、今の家具作りにまで連綿と受け継がれてきたに違いない――。

朝廷に頼られた飛騨の建築プロ集団

まずは飛騨の匠の歴史を学ぼうと、飛騨・世界生活文化センター内にある「ミュージアム飛騨」を訪れた。ここには、飛騨の匠と家具の歴史コーナーがあり、飛騨地方で育まれた建築や木材加工、家具作りなどの歴史が分かりやすく展示されている。

「飛騨の匠が初めて資料に現れるのは、約1300年前。718年に制定された養老令という法律の中に出ています。彼らは、高い技術を持つ木工技術者集団として、朱雀門や大極殿といった平城京の主な建物や、興福寺、唐招提寺金堂・講堂、東大寺、薬師寺などの建築にかかわりました。また、奈良、平安時代の飛騨の匠は建物だけでなく、机などの調度品作りも担っていたと考えられます。この地域で洋式の家具作りが始まったのは大正時代ですが、その源は飛騨の匠にあります」

企画運営課長で学芸員の三嶋信さんは、こう解説してくれた。

ミュージアム飛騨に展示されている平城京朱雀門の模型
ミュージアム飛騨に展示されている平城京朱雀門の模型。三嶋さんは「この朱雀門の建築にも飛騨の匠たちがかかわっていました」と語る

10世紀ごろまで存在した高山市内の国分尼寺の発掘調査で、興味深いことが分かった。その構造は、南側正面の1間分壁がない「吹き放し廊下」という、奈良時代最新のデザインで、今も残る世界遺産で国宝の唐招提寺金堂と同じ様式だったという。「全国的にも珍しい建築構造です。飛騨の匠の卓越した技能が改めて証明されたと言えます」と三嶋さんは語る。

家具に国産材を 技術と美しさで価値高める

飛騨地域で本格的に洋式の家具作りが始まったのは1920年。中央木工(現・飛騨産業)が曲木椅子作りに取り組んだ。飛騨産業取締役デザイン室室長の中川輝彦さんは「創業当時、飛騨地域ではブナの木が豊富にありましたが、硬くて扱いにくいため、多くは放置されていました。そのブナを利用して家具作りが始まりました」と説明する。

「曲木は、木を蒸して柔らかくし、曲げる技術ですが、割れたりひびが入ったりするので、特別な技術が必要でした」。民芸運動の柳宗悦さんの長男で工業デザイナーの柳宗理さんがデザインしたヤナギチェアを復刻、現在も販売されているが、まさに、飛騨産業が誇る曲木技術の結晶と言えるだろう。

飛騨産業の「YANAGI COLLECTION/アームチェア」
飛騨産業の「YANAGI COLLECTION/アームチェア」

家具作りで使われる木材は大半がアメリカなどからの輸入材。飛騨産業では、世界有数の森林大国である日本の森林資源の活用を重視しており、2030年には国産材の利用率30%を目指している。

「家具に使われる木材は、かつては節のない、柾目、板目がほとんどで、節がある材は捨てられていました。ですが、節は天然木ならではの特徴。今は、節も自然の美ととらえてデザインしています。また、材にならないため捨てられていた枝の形を生かした椅子もあります。さらに家具には使えない木材や枝葉からはアロマを抽出するなど、木全体をあますことなく使うようにしています」

節目も素材の個性として生かした家具
「このような節目も、素材の個性です。個性を大切にしたデザインにしています」と語る中川さん

また、飛騨産業では、軟らかくて家具作りには不向きとされていた杉材を圧縮して硬くし、家具やフローリングの材料などに応用する技術を世界で初めて取り入れた。戦後、国策として全国的に植林されたものの、伐採期を迎えても利用されないままの所が多く、花粉症の原因として嫌われがちな存在になっている。そうした杉の利用を進めようというのが、飛騨産業の圧縮加工技術だ。

中川さんは、「人間の体に優しく、見た目が美しく、丈夫で長く使っていただける。そんな商品作りを心がけています。良い物を長く使うのは日本固有の美学であり、文化です。そして環境にも優しい。そうした日本の文化を大切にしつつ、若い人たちに欲しいと思ってもらえる家具をこれからも作っていきたい」と話している。

「100年モダン」の手仕事 飛騨の匠の精神で

高山市では朝市も全国的に有名だ。石川県輪島市、千葉県勝浦市と並んで「日本三大朝市」とも言われているほどだ。「飛騨高山宮川朝市」として、毎朝午前7時から正午まで開かれている。新鮮な野菜や果物のほか、食べ歩きができる団子やプリン、おみやげにもなる飛騨の工芸品などを売るさまざまなテントが宮川沿いにたくさんあり、そぞろ歩きをするだけで楽しい気分になってくる。

そんな朝市通りのすぐそばにあるのが、「匠館」。「街の駅」と称して1階はカフェのほか、広いスペースに飛騨地域の特産品や伝統工芸品、銘菓、さまざまな木工小物などが販売されている。だが、実は飛騨高山を代表する家具メーカーの一つ「シラカワ」のショウルームで、2階にはさまざまな家具がずらりと並んでいる。

シラカワ社長の野畑知司さんは、「街には平日でも多くの観光客が歩いていますが、その多くは海外からのお客様。この匠館にも、海外からの観光客がたくさん訪れています」と語る。

「『100年モダン』というのが、シラカワの家具作りの理念です。それは、100年たっても古さを感じさせない家具を作りたい、ということと、100年使える丈夫さを備え、長く使い続けてもらいたい、という思いがこもっています」と野畑さん。シラカワもまた、飛騨産業と同様に国産材の利用拡大を目指している。「NIPPON COLLECTION」というシリーズは国産材を使い、木の個性を生かした無垢材で丁寧に仕立てた家具だ。

シラカワ「NIPPON COLLECTION」
シラカワ「NIPPON COLLECTION」

「国産材は自然のままで、1枚1枚違う顔をしています。その顔を生かした家具作りをしているのが、このシリーズ。塗装も石油由来のウレタンではなく、自然素材のオイルを使っています。飛騨は土地の9割以上は森林。そうした豊富な資源を有効活用していかなくてはいけません」

家具作りの現場でもIT技術の導入で機械化が進んでいるが、「どんなに機械化されても大切なのは人間の手による技です」と野畑さん。ITを活用して作業を効率化するとともに、職人の技も次の世代に継承することが大切だという。

「時代の波に逆行しているのかもしれませんが、私たちは、飛騨の匠の技と精神を継承し、人の手を重視した家具作りを今後も大切にしていきたい」

自宅のソファでもパソコンを使えるようにデザインされたデスク
自宅のソファでもパソコンを使えるようにデザインされたデスク。野畑さんは「コロナ禍でテレワークが進み、こうした商品への問い合わせも増えました」と語る

森の豊かさを守り、「飛騨の家具」ブランドを世界へ

最後に協同組合飛騨木工連合会の代表理事、白川勝規さんに話を聞いた。飛騨の家具について白川さんは、「品質は世界トップレベル。デザインも世界から注目されています」と胸を張る。

「私たちは、『飛騨の家具』『飛騨・高山の家具』を2008年に地域団体商標登録しています。環境と健康に配慮し、良質の材料で長く使える国産家具を作る地域ブランドです。認定マークがある家具は、10年保証(木部)がついており、自信を持ってお薦めできる商品となっています。このブランドを大切にし、飛騨の家具のすばらしさをさらに多くの人に伝えていきたい」

「飛騨の家具」ブランド商標
「飛騨の家具」ブランド商標
飛騨の家具のすばらしさを伝える白川さん
「品質が良くて長く使える飛騨の家具のすばらしさをさらに多くの人に知ってもらいたい」と語る白川さん

白川さんは、これからの飛騨の家具作りについて、「飛騨の匠から連綿と受け継がれてきた物作りの技術と精神を伝承しながら、新しい時代にも対応。この飛騨でなくてはできない、長く使っていただける安心・安全で高品質、良いデザインの家具作りを今後も大切にしていきます」と話している。

1300年もの昔から高く評価されてきた飛騨の木工技術。その歴史と伝統、技術を受け継いでいるのが飛騨の家具作りだということがよく分かった。高品質の素材と職人の高い技術力で作られ、丈夫で美しく、使いやすい飛騨の家具は、手頃な価格の大手家具店の商品と比べると高級品の部類に入る。

だが、野畑さんが言うように、子から孫へと受け継いで100年使えるとしたら、むしろコストは安くなるかもしれない。長く使ううちに、愛着もわいてくるだろう。飛騨の家具は家庭用ばかりでなく、飲食店向けやオフィス向けの商品もそろっている。飛騨の家具を使って仕事ができたら、殺風景なオフィスにも潤いが生まれ、快適で作業効率も上がるような気がしてきた。

#飛騨の木工の歴史
「飛騨の匠」は、718年に編纂が始まった養老律令に初めて記述されている。それによると、飛騨では、税の一部が免除され、代わりに里ごとに10人が1年交代で都に行くことが義務づけられた。701年制定とされる大宝律令でも同様の規定があったと考えられている。一つの国を特定した規定は、全国で飛騨だけだった。奈良県橿原市には、「飛騨町」という地名が残っており、藤原京造営時に飛騨の匠が居住した名残とされる。
洋風の家具作りの歴史は、1920年創業の中央木工(現・飛騨産業)に始まる。ブナの木を材料として曲木椅子を製作した。その後、数々の家具メーカーが参入した。国内の家具作りの産地で、椅子作りから始まったのは飛騨だけ。その他の地域は、タンスや鏡台作りから始まっている。飛騨では現在でも椅子の生産が主流で、ダイニングチェアでは全国一の出荷量を誇る。

<今回訪れた場所>
ミュージアム飛騨
HIDA 高山店 森と暮らしの編集室
シラカワ 飛騨高山 匠館

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