地震・豪雨乗り越え、能登の酪農を未来へ 循環型農業を目指す酪農家の志

(※本記事は日本政策金融公庫が発行する広報誌「日本公庫つなぐ」の第38号<2026年7月発行>で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)

石川県鳳珠郡能登町の西出牧場は能登半島の北東部、緑あふれる奥能登の高台にある。15ヘクタールを超える広大な敷地の大半は牧草地で、飼料のほとんどを自前でまかなっている。70年前の祖父の代に同県内で酪農を始め、能登に移転してから間もなく半世紀。父、妻と共に家族経営で牧場を切り盛りするのは3代目の西出穣氏だ。能登半島地震、奥能登豪雨と相次いだ災害を乗り越え、能登の酪農の未来へ思いをはせる。

代表 西出 穣 氏
西出牧場 代表 西出 穣 氏

能登半島地震で断水 近隣の牧場と協力して水を確保

2024年1月1日、牧場を大きな揺れが襲った。「水道水の供給は完全に断たれました。牛に飲ませる水は川からくんできて、一頭一頭バケツで与えました。電気は3時間ぐらいで復旧したので、その日のうちに搾乳することはできました」と西出氏は振り返る。搾乳が不安定になると乳牛は乳房炎になりやすくなるが、「搾乳できたのは不幸中の幸いでした」。2頭が地震でけがをしたが、死んだ牛はいなかった。

飼料の牧草は十分あったが、水が満足に飲めない状況は牛にとっては大きなストレスとなる。水道は町営の水道と地下水の2系統あり、地下水の復旧を急いだ。兄弟や同級生、水道を共同利用している隣の牧場とも協力し、水が漏れている場所を1カ所ずつ修理し、1週間で何とか仮復旧した。町営の水道が復旧したのは4月中旬だったという。

殺菌・洗浄用のボイラーも1週間程度で復旧したため、搾った生乳のサンプルを検査に出してみたが、最初は細菌数と風味異常で不合格になってしまった。「いかに牛がストレスを抱えていたかが分かりました。搾乳して捨てている間はパイプラインを洗えなかったことも影響したと思います」。1月14日に出荷再開にこぎつけたが、しばらくは乳量が減った。因果関係は分からないが、牛の流産も増えたという。

建物被害は甚大で、搾乳牛舎は準半壊、搾乳前の若い牛を育てる育成牛舎は全壊となった。牧草地も地割れや崩壊が起きた。「育成牛舎は建物が傾いていましたが、すぐに代わりの場所に牛を入れることもなかなかできず、しばらくは使い続けるしかありませんでした」と西出氏。育成牛舎は公費解体し建て直すことを決め、仮設牛舎に牛を移した。一方、搾乳牛舎は再建まで行おうとすると多額の費用がかかるため、修繕して使用を継続することにした。

消費者からの励ましの声 地産地消の取組みも

水がたまりやすくなるなど大きく損傷した牧草地はブルドーザーを借りて修復を重ね、後は種をまくだけとなっていた2024年9月、今度は奥能登豪雨に見舞われる。「ようやく復旧した牧草地が再び水に浸かって、目の前が真っ暗になりました。ですが、もう一度やり直しました。牛への影響があまりなかったことが救いです」

被害は大きかったが、たくさんの応援の声に支えられたという。「酪農家仲間がいろいろアドバイスをくれて助かりました。消費者の方からも、能登の牛乳を飲みたいので復活を待っています、頑張ってくださいなどと温かい声が届き、励みになりました」

震災後、飼育する牛に能登町内の酒造会社から出た酒かすを与え始めるなど、地域とのつながりを深める取組みも始めた。「本来なら酒蔵から出ても処分されてしまう酒かすを酪農の現場で使うことによって、地域の資源として有効利用できます。そういう地産地消のような取組みが広がってほしい」と語る西出氏。酒かすの活用を始めた後、生乳の乳脂肪分がさらに高くなり、乳量もやや増えたという。また、生まれた子牛のゲノム解析を行って牛の遺伝的能力を確認するなど、最新技術の導入にも力を入れている。

手入れの行き届いた牧草地。酪農家たちが支え合いながら、豊かな環境を守り続けている
手入れの行き届いた牧草地。酪農家たちが支え合いながら、豊かな環境を守り続けている

着実に歩む復興 頭数も震災前の水準に

2026年5月時点で、西出牧場の搾乳牛は約30頭、育成牛は11頭と震災前と同じ規模を維持。牛は外部からの導入に頼らず、全て自家育成している。6月には新しい育成牛舎が完成した。育成牛は、牛舎再建にあたり県の放牧場に預けていた分も合わせて今後、新築した育成牛舎で飼育していく予定だ。新しい育成牛舎は牧草地に直接出られるようになっている。「出産するまでの間にたくさん運動させて、足腰を鍛えていい牛にしたいという思いがあります」と西出氏は力を込める。

6月に完成したばかりの育成牛舎
6月に完成したばかりの育成牛舎

この他、搾乳牛に受精卵移植した黒毛和牛や、交雑種の肉用牛の子牛も生産している。「よほど忙しい時や出張時にはヘルパーに来てもらうこともありますが、基本的には私と父と妻の3人で回しています。牧草は今がちょうど収穫の時期で、今年は天気がいいので助かっています」と西出氏はほほ笑む。

地元の生乳だけで商品化 愛されるブランドに

西出牧場など奥能登の牧場から集乳した生乳は、能登のブランド牛乳である「のとそだち」や七尾市の和倉温泉にあるジェラート店の商品、有名パティシエのスイーツなどにも使われている。奥能登に点在する牧場はいずれも牧草地を持ち、それが安全でおいしい牛乳を生産しているという信頼感につながっている。

「牧草が自給というのは大きいですね。自分の牛に食べさせる牧草を賄うことができる循環型農業は能登に合っていると思います。断水さえ乗り越えられれば、餌の牧草は何とかできる。そういう安心感もありました。それは強みだったと思います」と西出氏。大規模化はスケールメリットがあるとしても、「集約してしまえば、能登らしい酪農、能登の牛乳の良さが薄まってしまう」と強調する。

100%地元産の牛乳は脂肪分が濃く、ヨーグルトもコクがあり評判
100%地元産の牛乳は脂肪分が濃く、ヨーグルトもコクがあり評判

牛は暑さに弱いため、金沢市などに比べて平均気温が低い奥能登は酪農に向いている場所だという。牧草地への堆肥供与など、人口が多い都市近郊では難しい循環型農業が行えることも強みだ。ただ震災後、能登町の酪農牧場は減り、隣の珠洲市でも再開できていない牧場があるという。能登酪農の持続可能性に黄信号がともる。

能登酪農の未来へ 新規就農者を歓迎

西出牧場は約40~50頭規模で経営しており、同じような規模の家族経営の酪農家が点在するのが奥能登の酪農の特徴だが、獣医師や物流体制の安定確保には現在の10戸以下の状況では厳しいと指摘する。「できれば一つの町に10戸は欲しいですね。新規就農を希望する人がいるなら大歓迎です」という西出氏は、いつでも新規就農者を受け入れられるよう、遊休牧草地の手入れを隣の牧場と協力して続けている。

「酪農というと、一大産地である北海道などのイメージを持たれる就農希望者が多いと思いますが、そういう方々が、なんか能登って酪農をやるのに良さそうじゃないか、と思ってくれるとうれしいですね。この地区を含めて住人が本当に少なくなっています。新しく農業を始めたい人、例えば、若い夫婦が来てくれて、子育てをしながら牛を飼ってくれれば、地域にとっては本当にいい話だと思います」と西出氏は願う。また、公的機関による就農促進事業の拡充も大きな力になると考えている。

手塩にかけた乳牛と西出氏。地震や豪雨を乗り越えた牛舎にて
手塩にかけた乳牛と西出氏。地震や豪雨を乗り越えた牛舎にて

地元小学生向けに酪農教育も

30年ほど前から地元小学生の見学を受け入れてきた西出牧場は、2011年に一般社団法人中央酪農会議から「酪農教育ファーム」の認証を受け、牧場のことを子どもたちに知ってもらう体験学習活動に熱心に取り組んできた。「やはり一般の人に酪農を、大変さも含めてその魅力を知ってほしいというのが動機としては強いです」と西出氏。地震の影響で中断を余儀なくされたが、昨年5月から徐々に再開している。

「外に牛がいる中で草やり体験をすると、夢中になってしばらく動かない子どももいます。搾乳体験も楽しそうです。そういう喜ぶ子どもたちの姿を見るとモチベーションが上がります。地元の子どもの見学が多いですが、地域の誇りみたいに思ってくれるならうれしいですね」。子どもの頃に西出牧場で体験学習をし、酪農の道に進んだ人も2人いるという。

「こういう環境で牛を飼って生乳を搾っていることを知ってもらうことで、将来、酪農という仕事に就くのもいいなと思ってもらえたら、と願いながら続けています」

小学生の牧場見学を受け入れる中で、教育の大切さを日々感じるという西出氏
小学生の牧場見学を受け入れる中で、教育の大切さを日々感じるという西出氏

能登の復興と将来について、西出氏は一次産業の重要性を訴える。酪農に関しては「それぞれの地域に牧場があって、それが地域コミュニティーの核になっていければいいかなと思っています」と話す。黒毛和牛のブランドとして知られる能登牛も、受精卵移植した乳牛から生まれているため、酪農と相互補完関係にあり、一方だけでは成り立たないという。「牛に限らず、農業や水産業、林業に携わる人たちがもともと能登にはたくさんいて、町の中心部も商店などが栄えていったという歴史があります。高齢化が進んで一次産業の従事者が減り、若手も少ない中で町の活気が失われつつありますが、もう一度、一次産業がしっかり盛り上がり、その上で商業があり、観光があるという形になっていけばいいなと思っています」

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日本公庫つなぐ
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