倉岡紙工 ビジネスモデルを転換し、製造業における地産地消を目指す

倉岡紙工は2016年の熊本地震をきっかけに町工場から大胆な改革へ舵を切った。東京をはじめ大都市へ流れるパッケージ製造業務を受託できる新工場を設立するとともに、ビジネスモデルの転換に取り組んでいる。実行する3代目の倉岡和徳氏に、その概要や狙い、効果について話を聞いた。

倉岡 和徳(株式会社倉岡紙工 代表取締役社長CEO)

商社時代の経験から痛感した
家業の課題

1965年に熊本駅前で創業した倉岡紙工。贈答品用の箱の製造から始まり、2代目が土産品パッケージを主力に展開するとともに、熊本市南区への工場設立や拡張を行ってきた。

2021年に経営のバトンを受け継いだ3代目の倉岡和徳氏は「家業を継ぐ予定はありませんでした」と振り返る。前職は商社で働き、アジア地域におけるサプライチェーンマネジメントや新規開発を担当していた。

「家業を継ぐきっかけは友人の『熊本が好きで帰りたいのに帰る場所がない』という言葉でした。人材を受け入れる企業がない現実を実感し、家業で地方から活性化させることをミッションにしようと決意しました」

商社時代にさまざまな工場を視察していた倉岡氏は、自社の工場を見て痛感した課題があった。整備されていない労働環境と、時代に合っていないビジネスモデルだ。

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