世界の金融市場の最前線へ 金の知識で資産防衛と日本の未来を照らす
国際金融アナリストとして長く世界の金融市場の最前線で活躍する、豊島逸夫。「金の第一人者」と称されるまでに至ったその道のりは、王道を突き進んできたものではなく、むしろ未知の世界への挑戦の連続だった。豊島は今、為替や金の世界で磨かれた視点から、資産の守り方だけではなく、日本の企業や社会の未来を見つめている。
文・油井なおみ

豊島 逸夫(経済評論家・国際金融アナリスト)
「乙組」の挫折がつないだ
実力重視のトレーダーの世界
「私はね、新入社員のときに『乙組』と言われたんですよ」
1972年に一橋大学経済学部を卒業後、新卒で日本の大手銀行に入社した豊島逸夫は、わずか1年2カ月でその職を辞している。
まだまだ年功序列が当たり前で、会議で手を挙げれば、『10年早い』と言われる時代。「僕なんかは早々に協調性がないと言われるわけです。月給も手渡しの時代で、隣の同僚と明細を見せ合ったら、同僚の方が100円高い。事務のミスだと思って先輩に報告したら、『お前は普通のサラリーマンの息子だから乙組なんだよ』と言われたんです」。出発時点で努力では越えられない線引きがあると知り、衝撃を受けたという。「乙組はどんなに頑張っても支店長止まり。僕は団塊の世代だから同期が600人もいたんですよ。ここにいても自分の望むようなキャリアは実現できないのかと思い、その翌月に辞めちゃったんです」
次が決まっていたわけではなく、学生時代にやっていた通訳のアルバイトを再開。NHKの専属通訳になった。
「初任給が2万5千円の時代に、1日1万円もらえたんです。会社を辞めて、母は泣いていましたが、自分は若かったし、気楽に考えていましたね」
2年ほどが過ぎた頃、大学の先輩から連絡があった。「『いつまでそんな生活をしているんだ』と気にかけてくれていたんですね。それで『スイス銀行(UBSの前身)が日本で貴金属のトレーダーを雇いたいといっているが、お前、やれるか』というんです。当時、日本ではやっと外国為替取引が始まったばかり。貴金属のトレーダーなんて仕事はまだなく、想像もつきませんでした」。それでも好奇心に背中を押され、面接を受けることを決めた。
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