2018年11月号
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地域特集 茨城県

干し芋を「世界の健康食」に 東海村で自然栽培、タンザニアに進出

照沼 勝浩(照沼勝一商店 社長)

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茨城県北部の特産品は、地元で栽培されたサツマイモを使った健康食品の干し芋。照沼勝一商店は、原子力関連の風評被害と戦いながら、干し芋を生産してきた。2014年からはアフリカに進出し、現地生産と販売を開始。世界に干し芋を広めることを目指す。

照沼 勝浩(照沼勝一商店 社長)

照沼勝一商店は、東海村の照沼という地域に本社を置く、株式会社の農業生産法人だ。社長の照沼勝浩氏は、法人としては2代目だが、この地で代々営まれてきた農家としては20代目に当たる。照沼勝一商店の主力製品は、干し芋だ。自社で栽培したサツマイモを材料に干し芋などを生産し、販売してきた同社は、2014年にタンザニアに進出。アフリカで干し芋や芋けんぴを作ることになった。なぜ、茨城の干し芋生産者が、アフリカに進出することになったのだろうか。

風評被害から環境志向の農業へ

サツマイモを蒸してから乾燥させた干し芋は、保存食やおやつとして全国各地で作られてきた。市販品の9割は茨城県で生産されている。県北のひたちなか市や東海村が、干し芋生産の中心だ。地元で栽培されていた品種が干し芋向きだったこと、冬の冷たく乾燥した気候が干し芋の生産に適していたことが、産業化を後押しした。

照沼勝一商店は、1960年に干し芋やスイカの卸問屋として創業、1977年に株式会社化した。当初は、近隣の農家が生産した干し芋を集荷してパッキング、全国に販売していた。2002年からは、干し芋の自社生産を本格化させている。県内でも有数の大規模生産者で、生産量が最大となった1990年頃には、90ヘクタールの畑でサツマイモを栽培していた。

転機は、1990年代後半に相次いだ原発関連施設での事故だ。1997年には、旧動力炉・核燃料開発事業団の東海事業所で火災が発生。1999年のジェー・シー・オー臨界事故では、核燃料加工施設で事故被ばくによる死亡者が出た。どちらの事故も、事業所の外には大きなリスクを伴わないものだったが、茨城県内の農家は風評被害に直面することになった。

「ジェー・シー・オー事故から1年後の2000年8月、風評被害の再燃を恐れた有志が集まり、農業と環境を考えるシンポジウムを開催しました。環境や生態系について真剣に考え始めたのはこのころでした」と照沼氏は話す。

経営環境の変化も、環境志向の農業を後押しした。2000年の法改正で、株式会社が農業生産法人となることが認められたことから、照沼勝一商店は茨城県で初めて、株式会社として農業にかかわることになった。「普通の農家と株式会社との最大の違いは、社会的な責任だ、と言われました。その時に考えたのは、農薬の利用のことです」(照沼氏)。

例えば、サツマイモの栽培では、土壌燻蒸剤で畑の土を処理し、土の中の害虫を駆除する。土壌燻蒸剤として使われるクロルピクリンは、強い催涙性と刺激臭があることから、防毒マスクと防護服を着用して散布することになっている。照沼勝一商店の300カ所のサツマイモ畑は、住宅地に隣接しているものが多く、農薬の散布時に匂いに関する苦情が来るケースが少なくなかった。また、農薬散布を担当する従業員の健康も心配だった。企業には、従業員の安全を守る義務があるためだ。

農薬を散布せずに虫が大発生した場合にも、近隣の住宅から苦情が入る。「どちらにせよ苦情は来るのですが、使用時のリスクを考えて、農薬と肥料を使わない自然栽培に挑戦することにしました」と照沼氏は説明する。

照沼勝一商店の製品群。自然栽培の干し芋、ポテトチップや、タンザニア産の芋けんぴ、ドライフルーツのバナナ・パイナップル・マンゴーなどを生産する。消費拡大を目指し、干し芋を使ったアイスクリームやプリンも販売している

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