2018年1月号

人間会議

未来社会の基盤 数理科学 専門の知恵とリテラシー

小谷 元子(東北大学 材料科学高等研究所 所長・大学院 理学研究科 教授)

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人工知能やビッグデータ、デジタル化社会が毎日のように話題となる中、将来には、数学や統計に関する理解やリテラシーが様々なレベルで必要だと考えられる。また、実社会の複雑な問題解決に向けては、異なる専門分野の人々の間におけるコミュニケーションが求められる。

このようなコミュニケーション能力を高めることは、イノベーションを生み出す力にもなる。

 

 

小谷 元子(東北大学 材料科学高等研究所 所長・大学院 理学研究科 教授)

正しく伝えることの難しさ

―先生がご専門の数学は、どのような特徴を持った学問でしょうか。

私の専門は純粋数学です。数学というのは忍耐強く聞いていただければ、どんな方にもすべて理解していただける学問だと思います。しかし、抽象的な設定のもとに論理が長く続くため、実際には伝えるのが難しい学問の1つでもあります。

数学とは、人間が素朴に考えたときに区別できないものをどう区別できるようにするか、人間が見たり触れたりできないものをどう理解し、見えるようにするかということを考える学問です。

もとは自然現象・社会現象に端を発しているにしても、高度抽象化・普遍化された問題を対象にするモチベーションを理解していただくのは、非常に難しいことです。さらに、素朴には同じに見えるものをどのようにして区別するかという話でもあるため、設定を省いて大雑把に話せば意味がなく、例えば、「丸いものは丸い」というような話になってしまいます。

私は以前、わかりやすく説明するために、比喩として具体的な例を挙げて説明したところ、相手に私がその例自体について研究していると受けとめられてしまったことがありました。

このようなこともあり、正確に伝えるのは難しいことだと感じますが、その後は経験を積んである程度、「数学の話だけど、わかりやすく話していただいた」と言っていただけるようになりました。

他方で自分としては正確さをぎりぎり保って説明しているつもりでも、ひょっとしたら相手に伝わっておらず、伝わらない分、逆に「わかりやすい」と言われているのではないかという心配もあります。このため、本質のアイデアは伝わるよう気にしながら丁寧に話すようにしています。

「腑に落ちる」感覚を掴む

―海外での生活を通じて、社会の中の数学をどうお考えですか

数学リテラシーや期待は国ごとに異なると感じることもあります。例えば、フランスの百科事典を見ると、「球」の定義として「距離空間の中の1点から等距離の点の集合」と書かれており、これは数学辞典の専門的定義の仕方と同じです。日本の一般向け辞典ならおそらく「丸いもの」というような、ニュアンスは伝わるものの正確には伝わらない書き方をするでしょう。

このように、フランスでは数学の用語に関する定義が、一般の方々に向けた百科事典などでも非常に正確に、数学的に書かれています。フランスでは、こういうことを日常に受け入れられるような教育を受けているのではないでしょうか。

まず根本的な考え方として、数学は「理解しようと思えば、必ず理解できる」、「きちんと論理でつながった言葉だ」ということを叩き込まれていると感じる体験もシバシバありました。

一方、日本は数学の啓蒙書の売上が世界的に見ても多く、日本人の数学に対する関心や知識のレベルは非常に高いと言えます。日本では、美しさや自然さのような数学者が最も大切にしている部分への深い理解をいただいており、そういう意味で日本は世界でも稀にみる国だと感じます。

他方で、日本で「私は数学をやっています」と言うと、「数学は嫌いです」、「わかりません」と言われることも多く、「聞けばわかる」という感覚があまりない印象を受けます。

―抱かれるご印象の背景には何があるのでしょうか。

もしかしたら、初等・中等教育の違いがあるのかもしれません。日本では高いレベルの数学技術を身につけさせるため、ゆっくり教えられない事情があるのかと思います。教育の場で、感覚を掴みながら理解していくための余裕がなく、知識はあるものの、腑に落ちた感覚まで持てないのかもしれません。数学ではゆっくりと腑に落ちる感覚を掴むことが重要で、その部分をより大切にできれば良いと感じます。

数学の定理は一見ややこしくみえますが、最初は素朴なアイデアから出発し、試行錯誤の結果、そうなるのであり、その時の考え方を丁寧に説明できれば、理解してもらえるはずです。しかし、そのためには互いにゆったりした気持ちを持つことも必要です。最近は社会全体がゆったりした余裕をなくし、そのようなことが難しくなっているところもあるようです。

「難解と思われがちな専門知をどう伝えるか」を縦横に語った

「データ・リテラシー」が
ますます重要な時代に

現代は人工知能やビッグデータ、デジタル化社会などと毎日のように言われ、社会全体が大きく変化しています。 私たち研究者について言えば、研究の仕方も大きく変わっています。以前は大型装置を開発して実験を行い、試行錯誤の中で法則を見つけていくやり方が主でしたが、現在はデジタル化された空間の中で条件を制御した数理モデル・法則を予測し、実験によりリアリティのあるものを特定していく手法が盛んになっています。

これからの時代には、数学や統計に関するリテラシーのようなものが様々なレベルで必要になると思います。最先端で研究する人は今まで以上に数理的、もしくは情報科学的な手法を身に着ける必要が出てくるでしょう。

最先端研究そのものでなくとも、科学技術に関わる仕事をする人も、データを統計理論のもとにきちんと扱い、自分が考えるモデルをコンピュータで解析し、更にコンピュータから出てきた回答の意味を正しく理解することが必要になります。

誤解を恐れずに言えば、出したい結論がある場合、データに基づいてその結論を導き出すことある程度可能です。ですから、日常生活においても、データを解析する際に統計理論を正しく適用されているかを確認し、議論が危うい場合には、それを察知できる訓練と知識が大切です。

「データに基づいて解析した結果だ」と言われた場合、それが客観的だと信じることは危険を伴います。結果には、恣意性も含まれるからです。そういう意味でのデータ・リテラシーも、今後ますます必要になるでしょう。

今の子どもたちが大人になるころには、おそらくデジタル化社会のなかで高機能計算を活用することが標準の時代になります。そこから新しい価値を生み出すには論理性や数字的なものに対する壁をなくしていかなければなりません。そういう意味で教育を含めた数学の重要性は今後、増していくはずです。

イノベーションでも重要な
コミュニケーションの力

現代社会における課題には、科学の力を使わなければ解決できないものが多くあります。しかし、実社会の問題は、特定の学問分野に当てはまるわけではなく、漠然とした社会の課題をどう科学の言葉に変え、理解していけるのかも明確ではありません。どのような知識が必要になるかについても事前に予測できません。

また、人間の活動は、人類が長い歴史で積み上げてきた経験や常識とは異なる法則に支配される領域にまで進出しており、直観ではなく科学的な理論によらなければ危険な技術が扱われるようになっています。材料に関しても、原子、分子、ナノテクなど我々が日常的体験していることとは異なる法則で動いている部分が使われています。

これまで物理は理論の基礎となる概念として数学を求め、数学はその発展への刺激として新しい物理現象を求めるという良い関係を築いて来ましたが、今や医療、材料、社会現象など日常生活に関わる科学でも、そのような関係が始まっています。

基礎研究と応用、実装の間でどう知識を共有するかは重要な問題ですが、これらの人々の間では使っている言葉だけでなく、問題意識や価値観も異なります。ですから、互いのコミュニケーションが大切になると思います。

外国の研究所へ行くと、異なる分野を研究している研究者から「私の研究について説明したい」と言われることが多くあります。そして、非常にわかりやすく説明してくれるのです。日本では相手が同じ分野の研究者なら「話を聞こう」となりますが、それ以外の場合には、なかなかそうはなりません。日本人は正確に話し、深く理解するという点では負けていませんが、専門が異なる人とのこのようなコミュニケーションの能力を高めていくことも必要だと感じます。

多様な分野が入り混じってイノベーションを生み出す場合には、このようなコミュニケーションの能力が重要になるでしょう。他方でそのようなコミュニケーションは最初の理解には良いですが、後に進んだところではやはり専門的ディテールを詰めていく必要があります。日本人は、この点では優れていると思います。

数理・情報的イノベーションでは設備投資ではなくアイデア勝負という所もあるので、これまでと異なるビジネスモデルが必要でしょう。数理的な手法が中心になると、イノベーションは非常に速いスピードで進むのです。最初のアイデアがたくさん生まれる土壌をどのように作るのか、それをどのように標準的技術とするのか、またデータのオープン・クローズ政策も重要です。

日本には「欧米で行われて成功したことは、日本もやらないと」と考えるようなところがありますが、後から飛び込んでも遅い時代になっていると思います。ですから、「他の国でやっていることは、もうやらない」というぐらいの気持ちで新しいことに挑戦していくことも重要な時代だと感じます。

小谷 元子(こたに・もとこ)
東北大学 材料科学高等研究所 所長・大学院 理学研究科 教授

 

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