海士町は「成功事例」ではなく「挑戦事例」 人が集う「教育の島」
隠岐諸島・海士町にある県立隠岐島前高校。岩本悠氏は新たな「学びの場」を創出し、町の活性化に貢献。現在、教育改革の動きは県全域に広がっている。
―東京出身の岩本さんが、海士町(あまちょう)の教育改革に携わるきっかけは何だったのですか。
岩本 2006年5月、海士町に初めて訪れました。町の教育改革の一環で進められていた「人間力推進プロジェクト」の出前授業が開かれることになり、講師として招かれたんです。
当時、私は民間企業に勤めていましたが、町の職員や関係者の方々から、「学校の存続は地域の存続に直結する。統廃合の危機にある島の高校を何とか守りたい」という話を聞き、協力したいと思ったのがきっかけです。
海外での「学び」が原体験
―「島前(どうぜん)高校魅力化プロジェクト」では、島外から意欲ある生徒を募集する「島留学」をはじめ、地域起業家的人材を育成する新カリキュラムや、学校との連携型公立塾の立ち上げなど、独自の施策を次々と推進しました。岩本さんのそうした創造性の原点は、どこにあったのですか。
岩本 私の場合は海外経験がもとになっていると思います。20歳の頃、大学を1年休学してアジア、中東、アフリカなどの非政府組織(NGO)や地域活動団体などをまわりました。そのときに感じたのは、学校の外に真の「学びの場」があるということ。主体的に行動し、学ぶことの楽しさを実感しました。
異なる文化、異なる価値観、異なる現場に出会うこと、触れ合うことで自分自身が成長できる。そして、社会課題に対する当事者意識が生まれることで、「世の中に貢献できる人間になりたい」と考えるようになりました。日本の学校教育にも、そうした機会が必要だと考えたのです。
大学で教員免許を取りましたが、民間企業への就職を決めたのは、「社会で必要とされる力とはどのようなものか」を学びたかったことが理由の一つです。ですから、「島前高校魅力化プロジェクト」は、私のそうした経験や想いを還元できる機会だとも感じていました。
島全体を「学校」に
―海士町に移住した当初、地域の課題をどう見ていましたか。
岩本 「島留学」のポイントは「多様性」です。同じ地域の同じメンバーだけでずっと固まっていたら、変化や創造性は生まれません。特に海士町のような離島は、周囲から閉ざされた環境になりやすい。
また、少子化や人口減少の影響で、子どもの人間関係が少人数で固定化されてしまうという課題もありました。全国から生徒を受け入れ、異文化や多様性を学校に取り込むことで、新しい「学びの場」が生まれます。
島外から来る生徒には、住民が「島親」になります。そうすることで、地域の人たちと外から来た生徒たちとの間に自然と交流や絆が生まれます。意欲のある生徒たちが移り住むことで、島全体に刺激を与え、良い影響が広がっていくだろうと考えました。
「地域資源を活かした独自のカリキュラム」という発想が生まれたのは、学校規模が縮小傾向だったことも影響しています。生徒数が減少し、教職員も約4割削減される状況だったので、学校だけの力では到底魅力ある教育はできない。
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