ロボットの夢、被災地でカタチに 「全村避難」の村で技術を育む
原発事故の影響で、居住制限の続く福島県飯舘村。この村で、震災から1日も稼働を止めず操業を続けてきた菊池製作所は今、ロボット事業を本格化させている。
今秋から本格稼働を目指している菊池製作所の南相馬工場。福島県の「災害対応ロボット産業集積支援事業」の交付を受け、人間の筋力を補助する「マッスルスーツ」や災害時に上空から状況を監視する無人飛行機「ドローン」、世界初の4本腕の災害対応ロボット「オクトパス」などの研究開発・製造を行う。
菊池製作所の菊池功社長は、「ロボット産業で日本の未来を支えたい」と力強く話す。
人材活用のため地元に注目
菊池社長は1943年、福島県飯舘村の農家の三男坊として生まれた。
「当時、村に残って家を継ぐのは長男の仕事。次男、三男はおのずから家を出ていく時代でした」
中学を卒業してすぐ上京。カメラの試作品などをつくる会社に10年ほど勤めた後、1970年、27歳で独立。東京の八王子で菊池製作所を創業した。菊池社長は地道な営業を繰り返し、取引先を拡大していった。時代は高度成長期、右肩上がりの経済にも助けられ、夫婦2人で始めた工場は、成長を続けた。2011年10月にはジャスダックに上場、今では400人の社員を抱える企業になっている。
開発・設計から金型製作、試作、評価、量産まで、「ものづくり」の上流から下流までを一括・一貫生産できるのが菊池製作所の強み。成形、プレス、板金、切削とあらゆる加工技術と設備を持ち、量産はもちろん、多品種少量から試作といった一個づくりにまでスピーディに対応できる。カメラや時計、医療機器などの精密部品、自動車部品、工作機械など、あらゆる分野の製品を手掛けてきた。
菊池社長が故郷、福島県飯舘村に工場を設立したのは1984年。一番の目的は人材の育成だったという。ものづくりは、人材が命。腕のたつ職人を育てるには3年~5年が必要だ。好景気で仕事が山ほどあった当時、東京では、せっかく育て上げた職人が大手企業に移ってしまうケースが多かった。
都会から離れた飯舘村なら、じっくりと人材を育てることができる。一方で、家庭の理由で村を出られない若者にとっては、村にいながら工場で技術を身に付けることができる。双方のメリットがうまく合致した。
「利益を上げることはもちろんですが、地元への貢献の気持ちも忘れてはいけないと思っています。菊池製作所は地元の企業、飯舘村の企業という気持ちで、ここまでやってきました」
2009年までに飯舘村で稼働した工場は計6ヵ所。過疎化の進む村の活性化に大きく貢献した。
震災後に福島で新工場を設立
2011年3月11日、飯舘村の工場を東日本大震災が襲った。
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