クラゲ展示数で世界一 V字回復した加茂水族館の経営哲学

水族館の「おまけ」だったクラゲを主役に据えるという発想で倒産寸前から世界一の名声を得た、鶴岡市立加茂水族館。47年間館長を務める村上龍男氏の経営哲学とは。

2000匹のクラゲが泳ぐ直径5メートルの巨大水槽「クラゲドリームシアター」

クラゲの水族館として全国的に知られるようになった山形県鶴岡市立加茂水族館の、大盛況の勢いが止まらない。

本年6月1日に新館が完成しリニューアルオープンを果たしたのに合わせて、館周囲に駐車場900台分、シャトルバスで結ぶ近隣地に400台分を用意したが、行楽シーズンの休日ともなると、駐車場にクルマを入れるだけでも一苦労。やっと館に辿り着いても、入館待ちの長蛇の列に入館を諦めて引き返す人さえいるほどだ。

工夫を凝らしたクラゲの展示が見る者を飽きさせない

新館オープン後の入館者数を、鶴岡市は年間30万人、水族館の村上龍男館長(74歳)は50万人と見込んでいたが、たった3ヶ月余りで既に40万人を突破。このままでは一年でやすやすと100万人を越える勢いだ。多めに見積もった村上館長予想の倍の入り込みになる。想定外の大盛況に、村上館長はじめ職員一同は、嬉しい悲鳴を通り越して混雑対策に四苦八苦の日々だ。

クラゲの飼育の過程を見ることもできる

弱小水族館とクラゲの出会い

破竹の勢いの加茂水族館だが、しかしこの水族館ほど数奇な運命を辿ってきた水族館も珍しい。その波乱の歴史を時間軸で振り返ってみよう。

加茂水族館は1930年(昭和5年)に民間の水族館としてスタートした。至近に庄内地方の歓楽温泉郷として知られた湯野浜温泉を控えており、温泉客を当て込んだものであったのかもしれない。55年には鶴岡市に買い取られ市立となる。このころから60年代中頃までは年間20万人前後の安定した入場者数を誇っていた。

67年には地域を巻き込んだ大型観光開発構想に組み込まれる形で、市から第三セクター会社に売却。しかし事業のノウハウがなかった開発会社は赤字が膨らむ一方で、水族館の売り上げも赤字補填に吸い上げられ続けた。そして会社は倒産。水族館の経営は東京の商社に引き継がれたが、相変わらず利益は吸い上げられ続け、設備の補修や新規の設備投資もままならない状態に。

02年に水族館は鶴岡市に買い戻されるが、この間は低迷の限りを尽くし、年間入館者数が10万人を切ることもあった。そして現在に至るのだが、いつ潰れてもおかしくないほどに疲弊していた弱小水族館が世界中から一目置かれるほどの大逆転を果たしたのは、まさに「クラゲ」との出会いであった。

「もともと規模も小さく資金力もない中で、様々な企画展示を試みたのですがまったく鳴かず飛ばずで、97年には年間入館者数9万2千人という過去最低を記録するまでになってしまいました。しかし、この年の企画のサンゴ展の水槽でたまたまクラゲが泳いでいるのが発見され、それを展示したところ、お客さんは思いのほか喜んでくれました。展示を続けるうち、減少一方だった入館者数が2000人の微増になりました。館にもはや選択の余地はなく、“クラゲでやっていこう!”という覚悟を決めたのです」(村上館長)

27歳で館長就任黒字化までの長い道のり

村上館長は、66年に山形大学農学部の恩師の紹介で、加茂水族館に飼育係として職を得た。そして翌年の民間会社への売却に伴う職員の配置転換で、弱冠27歳にして館長に就任した。

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