攻撃できる特許が成功の鍵

山本秀策特許事務所は、国際特許で国内トップクラスの実績を持つ知財の専門家集団だ。所長の山本秀策氏は「企業のトップは知財を経営戦略に位置づけ、ビジネスの武器として活用すべき。そうしなければグローバルで生き残ることはできない」と説く。

知財戦略のミスが招いた凋落

メイドインジャパンの品質を世界に知らしめた日本の家電、エレクトロニクス産業が今、中国、韓国などのアジア勢に押され、すっかり元気を失っている。山本秀策氏は厳しい状況に陥った理由を「知財戦略のミス」と言い切る。

山本秀策特許事務所 所長 山本秀策氏

1980年代初頭、日本の自動車、家電、半導体製品がアメリカ製を凌駕して世界中にあふれ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた。だが、その裏でアメリカはしっかりと利益を稼いでいたという。

「たとえば半導体産業だけでも、日本の企業はアメリカに年間何千億円もの特許使用料を支払っていました。日本製品が売れるほど、アメリカが儲かる仕組みになっていたのです」。

アメリカが特許を押さえる技術に改良を加え、世界に輸出するビジネスモデルを採っていたがゆえの実態だった。

ひるがえって現在の日本と新興国の関係はどうか。かつてのアメリカと日本の関係にたとえるなら、日本が莫大な特許使用料を得ていてもおかしくないはず。だが、現実はそうなっていない。

山本氏は、「日本企業の特許保有件数は世界でも有数ですが、問題はその中身。知財が形になる前段階から将来のビジネス展開の方向や競合関係などを予測し、法的事項を念頭に置きながら権利化、権利の行使を戦略的に行ってこなかった。事業戦略を優位に進めるための特許出願の発想が足りない」と語気を強める。

経営戦略としての知財を学ぶ

山本氏が弁理士を目指すきっかけは、大学卒業後に働いていた食品メーカーの研究者時代にある。自身が開発した新麹菌を特許出願することになった際、外部の弁理士に委託した申請書類を見てあ然とした。単に特許出願の手続きを代行したのみで、ビジネスを見据えた内容になっていなかったからだ。

その時に弁理士という職業の存在に興味を持った山本氏は、知財の専門家として生きることを決め、同社を退職。

以後、アメリカのロースクールで特許法・商標法を学び、帰国後に大阪で特許事務所を開設した。

知財先進国アメリカで企業が経営戦略として知財を位置づける様を目の当たりにしてきた山本氏は、「Speed&Quality」を合言葉に次々に顧客からの依頼を解決してきた。その範囲は特許や実用新案、意匠、商標、不正競争、営業秘密、技術移転などの知財関連の出願や権利化手続き、訴訟、仲裁、ライセンシングまで多岐にわたる。

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