舞台はWTO デジタル貿易ルール交渉最前線とDFFT推進を経産省が語る
(※本記事は経済産業省が運営するウェブメディア「METI Journal オンライン」に2026年6月9日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
【通商政策局 デジタル通商ルール室】に聞く、WTOにおけるデジタル貿易ルール形成の現状と、WTOが果たすべき役割とは。経済産業省という複雑な組織を「解体」して、個々の部署が実施している政策について、現場の中堅・若手職員が説明する「METI解体新書」。今回は、通商政策局デジタル通商ルール室で、世界的なデジタル貿易ルール形成のために奔走する、中村 巧さんに話を聞きました。
DFFT推進のため、WTOでデジタル貿易ルールの形成を目指す
─── ご所属の通商政策局国際経済部はどのような部局ですか。
日本企業が世界各国と円滑な貿易・投資ができるようにするために、国際的なルールづくりや協定の交渉、各国との対話を行う部局です。
───その中で、デジタル通商ルール室はどのような業務を担当しているのですか。
DFFT(Data Free Flow with Trust:信頼性のある自由なデータ流通)を推進するために、WTO(World Trade Organization:世界貿易機関)などの国際的な場で、デジタル貿易のルール作りに取り組んでいます。
───中村さんはどのような業務をされていますか。
私自身は、省内の関係する部署や外務省などの関係省庁と連携して、ハイレベルの会談や国際会議などが円滑に行えるよう調整業務をしています。具体的には、会議の場で代表者に発言してもらう内容を準備したり、声明文書の文言について調整を行ったりしています。
また、プライバシー保護やサイバーセキュリティなどの観点から、越境データ流通を過度に規制するような各国の措置を調査する業務も担当しています。
─── 自身が担当している政策で、是非世の中の多くの方々に知ってもらいたいトピックスは?
直近、担当する業務に関して大きな動きがあったのでお話ししたいと思います。今年3月末に、カメルーン・ヤウンデにおいて、第14回WTO閣僚会議が開催されました。WTO閣僚会議は、WTO全加盟国の貿易大臣が参加する会議で2年に1回開催されるWTOの最高意思決定機関です。MC14ではWTOの機能改善に向けたWTO改革や、デジタル貿易に関する議論が大きく取り上げられました。
1998年以降、閣僚会議の度に、電子的送信に対して関税を賦課しない慣行(モラトリアム)の継続に合意してきましたが、今回の閣僚会議では一部の国との間で合意がまとまりませんでした。その後開催された5月のWTO一般理事会においても、モラトリアムの継続に合意できず、WTO全加盟国によるモラトリアムは、事実上失効している状況です。
─── 「電子的送信」はどういうものが対象なのですか?
海外のサイトからソフトウェアをダウンロードしたり、設計図やコンテンツを電子データで海外に送信するなど、あらゆるデータの越境移転が対象になっています。現在、電子的送信に関税を課している国はないのですが、これは関税を課すのが技術的に難しいことだけでなく、長年に渡ってWTO全加盟国で関税を課さないという合意を続けてきたことも背景にあります。
今回のモラトリアムの失効により、いつでも関税が課される可能性があり、海外とのデータのやり取りが日常化している中、産業界や消費者にとって不安定な状況となっています。そのため、早期の合意の回復を目指して、日本としても反対しているメンバーへの働きかけを続けています。
有志国間で暫定的な措置を採択。世界的デジタル貿易ルール形成に大きな一歩
─── 産業界や消費者にとって、インパクトが大きいですね。
はい。一方で、日本は有志国との間で、電子的送信に対する関税を課さないことの継続や、よりハイレベルなデジタル貿易ルールに合意しました。
今回のモラトリアムの失効を受けて、米国などの23の有志国・地域(5月18日時点)が、お互いに電子的送信に関税を課さないことを恒久的に維持する旨の共同声明を出し、日本もこの取り組みに参加しています。今後、さらに多くのWTO加盟国の参加を目指して、各国に働きかけていきます。
これに加えて、第14回WTO閣僚会議に際して、日本を含む66の有志国・地域の間で「電子商取引に関する協定のための暫定的な措置」が採択されました。日本は、豪州、シンガポールと一緒に、WTO電子商取引交渉の共同議長を務めているのですが、2019年からの有志国による交渉を経て、協定の合意文書をまとめてきた経緯があります。
ただ、交渉の成果である電子商取引協定を実施するためには、WTO全加盟国の合意が必要で、これまで一部の国の反対により、実現に至っていませんでした。今回、合意が実現するまでの間、協定を有志国の間で実施するため、暫定的な措置を採択することになりました。
協定には電子的送信に対して関税を課すことを恒久的に禁止することが盛り込まれている他、企業の予見可能性の向上やビジネスコストの低減が期待される様々なルールが含まれています。
─── いきなり全会一致での合意は難しくても、思いを同じくする有志国から始めることになったのですね。
はい、電子商取引協定の暫定的な措置の採択は、世界的なデジタル貿易ルールを実施するための歴史的な一歩です。WTOにおいて、複数国間交渉のルール形成ができたのは大きな成果だと思っています。
───企業が海外で安心してビジネスをするために、ルール形成が重要なのですね。
私自身、この部署に来るまで、通商ルールやWTOについて、ほとんど知識がありませんでした。業務を進める中で、通商ルールが海外との貿易や投資を行う際の予見可能性・確実性を高める重要なツールで、私たちの日常生活にも大きく関係することを実感しました。例えば、輸入品の価格に影響する関税の設定や、海外サービスの利用・提供に関する条件は、通商ルールによって透明性や扱いが左右されます。
地政学リスクの高まりの中で、WTOが果たす役割に注目してほしい
─── 業務に関して難しさを感じる点はありますか。
周りは長年WTOの通商交渉に携わってきた方が多いので、最初は用語を理解するのも大変でした。
また、WTOは、現在、166か国・地域が加盟していますが、WTOの意思決定方法は、原則全会一致となっています。加盟国が増加した今、全会一致での合意形成はとても難しい状況です。こうしたWTOにおけるルールメイキングの停滞も受けて、WTOの機能の回復・強化に向けた改革の必要性が高まっていて、今回の閣僚会議でもWTO改革が大きな議題となりました。
─── WTOのあり方自体も議論されているのですね。
はい。業務でお話を伺った有識者の方は、WTOを「空気や水といった当たり前の存在」と表現されていましたが、当たり前で日常的に見えにくい存在だからこそ、機能が低下したときの影響が伝わりにくいという面もあるかもしれません。
WTOは、ルールに基づく多角的貿易体制を支えるインフラとして、ビジネスの予見可能性を高め、各国の経済発展に貢献してきました。一方で、これまで想定されなかった新たな課題に対応するためには、新たなルール作りが必要ですが、ルールを決めるのには全会一致が必要なのでなかなか難しさがあり、意思決定方式を含めた改革を進める必要があります。
なかなか身近に感じにくいトピックだと思うのですが、地政学的な不透明さが拡大する今こそ、予見可能性を確保するためにルールに基づく多角的貿易体制が重要ということを多くの方に知っていただきたいと思いますし、国際交渉の舞台で起きていることに関心を持っていただくことに繋がれば嬉しいです。
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