社会的少数者の視点がイノベーションを生む インクルーシブデザインで新たな価値創造へ
(※本記事はNTTデータ経営研究所ウェブサイト内の「経営研レポート」に2026年7月28日付で掲載された記事を、許可を得て掲載しています)
はじめに
洗濯の際、洗剤を量る。立ったまま床を掃除する。いずれも、日常のごく当たり前の動作である。しかし、その当たり前の動作の中にも、企業が十分に認識してこなかった「使いづらさ」が存在する。
これに対し、花王株式会社はキャップで洗剤を計量してから洗濯機に投入する従来の容器の使いづらさに着目し、障がいのあるユーザーなどの声を聞きながら、ワンプッシュで5mlの洗剤が出て、計量と投入が片手でできる容器を開発した(写真1)。
開発の過程においては、視覚障害のあるユーザーが洗剤を使用する際、キャップに指を入れて液面の高さを測っていることや、「小さな目盛りが見づらい」「洗剤がこぼれやすい」「キャップで計量すること自体にストレスを感じる」といった困りごとを把握し、そうした不便を解決するため容器の検討と試作を重ねた1。
【写真1】片手で定量投入できる花王株式会社の洗剤容器
経済産業省 九州経済産業局『Inclusive Design Report 経営戦略としてのインクルーシブデザイン ― よい会社、強いビジネスへ ―』(2025年2月)
この容器は、障がいのある人などの困りごとを起点にしながら、特定のユーザーに限らず、多くの生活者にとって使いやすい商品を開発した例である。
同様の手法を用いて開発されたのが、コクヨ株式会社のフローリングワイパーである。開発過程で実施した、手や足に障がいのある人へのヒアリングでは、従来の製品について「手の力を入れにくい」「力を入れようとすると、前かがみになって腰に負担がかかる」などの意見があった。こうした声を受け、握りやすく力が伝わりやすいグリップ形状、力が逃げにくい太めの柄、身体を起こしたまま床をふける長さなどを設計・開発した2。
【写真2】軽い力で、身体を起こしたまま掃除しやすいコクヨ株式会社のフローリングワイパー
コクヨ株式会社Webサイト「文具のコクヨが本気で消しやすさにこだわった軽い力でスルッと落とせるフローリングワイパー<KOKUYO HibiFull>」
カウネット「コクヨ ヒビフル 文具のコクヨが本気で消しやすさにこだわった軽い力でスルッと落とせるフローリングワイパー」
※コクヨ株式会社の許諾を得て掲載
立ったまま床を掃除するという行為について、力の入れにくさ、腰への負担といった、見過ごされてきた不便を発見することは、特定の人だけではなく、職場や家庭で掃除をする多くの人にとっての使いやすさにもつながる。
上記の例のように、従来の製品・サービス開発において主な対象とされてこなかったユーザー(障がいのある人、高齢者、外国人など)の困りごとやニーズを起点に、当事者とともに製品・サービスの開発や業務プロセスを改善に取り組みことで、イノベーションを生む手法がインクルーシブデザインである3。
本稿では、インクルーシブデザインを「社会的少数者への配慮にとどまらない、イノベーションを生むためのアプローチ」として捉える。従来想定されていなかったユーザーの視点が、企業の見落としていた問題をどのように明らかにし、「プロダクト・イノベーション」や「ビジネスプロセス・イノベーション」につながるのかを解説する。これにより、インクルーシブデザインを、製品開発・改良や現場改革にどう活かせるのか考える手がかりを提示したい。
1.経済産業省 九州経済産業局『Inclusive Design Report 経営戦略としてのインクルーシブデザイン ― よい会社、強いビジネスへ ―』(2025年2月、閲覧日:2026年7月8日)
2.コクヨ株式会社「独自開発のグリップとヘッドでスルッと落とす!職場の床掃除をラクにするフローリングワイパー」(閲覧日:2026年7月8日)
3.経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』(2026年2月、閲覧日:2026年7月8日)
1. インクルーシブデザインとは何か
インクルーシブデザインの目的は、障がいのある人や高齢者などへの配慮や福祉的対応にとどまらない。この点で、インクルーシブデザインはユニバーサルデザインと異なる特徴がある。
ユニバーサルデザインが、可能な限り多くの人が利用できる製品・環境を目指すデザイン哲学であるのに対し、インクルーシブデザインは、従来メインユーザーとされてこなかった人々とともに考えることで、標準的なユーザー像では捉えきれなかった問題を発見し、多くの人にとっての新たな価値、すなわちイノベーションを生み出すことを目的としている3。
【図表1】インクルーシブデザインの特徴
【出典】
経済産業省 九州経済産業局『企業価値を高めるインクルーシブデザイン 共創が紡ぐイノベーション Inclusive Design Report』(2026年2月)
2. 見落とされた問題は、なぜイノベーションにつながるのか ― ドラッカーの「ギャップ」と「新しい問題 × 既存の解決方法」
イノベーションという言葉から、新しい技術や画期的な発明を想起する人も多いかもしれない。AI、ロボティクス、バイオテクノロジーなど、技術革新を起点としたイノベーションは、確かに企業や社会に大きな変化をもたらす。
しかし、イノベーションは必ずしも「新技術」からだけ生まれるわけではない。既存の技術や仕組みを、これまで見落とされていた困りごとの解決に活かすことでも、新しい価値は生まれ得る。
経営学者のピーター・F・ドラッカーは、イノベーションが生まれるきっかけの一つとして「ギャップ」を挙げている。ここでいうギャップとは、例えば、市場は拡大しているのに利益率は低下している、業界で前提とされている見方と実際のユーザーや市場の動きが合っていない、企業が提供している価値と実際のユーザーが求めている価値がずれている、業務が一定の流れで進むはずであるにも関わらず、一部の手順で負担や滞りが生じている、といった状況を指す4。
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