丹後ちりめんのファッションブランド 地域と作り手に寄り添う

絹織物「丹後ちりめん」の伝統を守るため、手織りによるネクタイの生産を開始したクスカ。地域に雇用を作るとともに、地域の魅力を発信するメディアを立ち上げ、移住促進にも貢献する。伝統産業を守り、将来につなぐ事業づくりについて、同社社長の楠泰彦氏に聞いた。
聞き手・鏡 晋吾(事業構想修士)

 

楠 泰彦(クスカ 代表取締役)

京都市内から車で2時間程度、丹後地方は「海が見える京都」として、天橋立がある日本海を望む、海、山、川の自然豊かな場所。京都という巨大なマーケットと、高湿な気候が織物に適した場所であり、「丹後ちりめん」の一大産地として300年の歴史がある。丹後地方では現在、日本の絹織物の約70%を生産 している。ピーク時の1973年には約1000万反、地球4周半分の絹を織っていたという。しかし、2020年の生産量は15万反。生産量はピークの1.5%までに落ち込んだ。

離れることで地元丹後の良さに気づき、
家業を継ぐことを決意

丹後地域の京都府与謝野町にあるクスカは現代表・楠泰彦氏の祖父が1936年に創業した。1976年生まれの楠氏にとって、幼少期の地元の町は織物の機音が昼夜問わず鳴り、活気に溢れていたという。楠氏は中学校からは高知県にある野球の名門校に進学して地元を離れ、その後東京の大学を経て、建設関係の仕事に就いた。並行してサーフィンを始め、海外へも行くようになった。 27歳のころ、偶然見たサーフィン雑誌がきっかけで丹後でもサーフィンができることを知り、Uターンした。

久々に戻った丹後で目にしたのは、幼少の頃とは違う風景だった。すでに織物の生産量は減少し、疲弊した家業と、職人の高齢化、衰退している地域の状況を見た。厳しい状況の中、父親には楠氏に家業を継がせる思いはなかった。一方、楠氏は、長い間継承してきたものづくりの歴史があることに可能性を感じており、困難な状況を打破したいと考えた。

織物の知識がなかった楠氏だったが、機織りの技術を教える施設である京都府織物・機械金属振興センター で2年間学んだ。地元には、技術の継承、人材育成を行い、地場産業を盛り上げていこうという機運があった。

手織で特徴を出し
自社ブランド立ち上げに成功

センターで学ぶ中で、同世代の機織りの職人との繋がりができたのも大きいという。一昔前は、丹後の機織りメーカーは京都市内の企業や問屋の下請けだった。地域内の同業企業は受注を争うライバルであるので、 横の繋がりは生まれにくかった。しかしこの時期は、自分達同士で助け合っていかないといけないという空気が芽生えつつあった。

座学で学びつつ、実務は会社で学ぶ中、依頼された仕事をこなすだけでは先々は厳しいと楠氏は感じるようになった。そしてこれまでのやり方を大きく変えていくしかないと考えた。さらに2008年、丹後織物工業組合の研修で中国に視察に行く機会があり、中国の工場が圧倒的な資本のもと、効率化された最新の機械で織物を織っているのを目の当たりにした。

楠氏は、「中国視察により、コストを度外視してでも、質の良いものを作るという丹後の伝統に気付かされました」と振り返る。帰国するとすぐ機械をすべて処分して、生産を手織りに変えることに決心した。同時に、自社で最終製品まで製造することで、流通をシンプルにした。織物の流通は、問屋、染め屋、染め問屋、小売問屋、地方問屋などいくつもの段階を経てようやく最終消費者に届く。もちろんその分コストは上がる。自社ブランドを持てば、直接消費者や小売店に販売できる。

自社ブランドをつくるにあたり、高級の着物の生地を製造してきたという丹後ちりめんの誇りを継承した。木製の手織り機はしなりがあり、揺れるので、経糸と緯糸の間に隙間ができる。その微かな隙間が、光沢と艶を生むのだという。 より織りの美しさがわかる製品として、ネクタイを選んだ。

自社工房の横にはショップを併設している

そして、2010年にネクタイなどメンズ服飾雑貨のブランド KUSKA(クスカ)だ。今では東京・日比谷にある自社の店舗だけでなく、銀座和光やユナイテッドアローズなどの国内店舗や、ロンドンにある英国王室御用達の店舗でも販売している。

製品を通して人や地域をつなげる

製品を通して、職人の温かみを伝えていきたいと考えたことも、手織りを選んだ理由だと楠氏は言う。織物にはたくさんの工程が伴い、そのひとつひとつの職人の手仕事が合わさったものが、世の中に出て行く。同社のネクタイの多くの工程は丹後の職人が担っているため、それを明確にしたいという思いで、製品には「ALL HAND MADE IN TANGO」と記載している。

木製の手織り機は建設業界で働いていた技術を生かし、自社でカスタマイズした

一方で、丹後の良さを全国に発信する事業にも取り組んでいる。楠氏は、都会への憧れがあって一度は故郷を離れたが、自分が丹後出身ということに誇りを持っている。丹後には海があり、豊かな食があり、300年続いてきたものづくりの歴史がある。楠氏はその発信のために「THE TANGO」というWEBメディアを立ち上げて、丹後の現状を伝えている。すると、自然があって人が生き生きと暮らしている姿が、都会の人にとっての憧れの土地になった。自ら発信してブランド化することで、若い人で機織りの仕事をしたいという人が増えたという。

現在、クスカの社員は平均年齢37歳。東京の店舗勤務を除く12名の社員のうち、9名が地元出身、残る3名が丹後に移住者で、地域の雇用や移住促進にも寄与している。丹後には約2000人のちりめんの作り手がいるが、平均年齢65歳と高齢化も進んでいる中で、同社の若さは目立っている。

楠氏は職人の働き方の改善にも取り組む。地域での暮らしを大切にし、子育てと両立できるようにするなど柔軟な勤務環境をつくっている。 職人の気持ちや体調が整い、ものづくりに対しての愛情が深まると、良い織物ができる。そこが手仕事の良さや、面白さであると楠氏は考えている。

インタビューを終えて

今では、スニーカーやカバンなどの開発も進めている。300年続いたことがなくなってしまうと次に作っていくには300年の時間を要する。次の300年をつくっていきたいという楠氏の目には、先代が作ってきたことを守るだけではなく、未来をつくっていこうとする強い意志を感じた。製品を通して、丹後という場所、そこで生きている人たちの温もりをユーザーに感じてもらい 、その町や人が好きになり、職人との繋がりができ、そのユーザーが新たな事業構想家になっていくという連鎖ができることを願う。

 

楠 泰彦(くすのき・やすひこ)
クスカ 代表取締役

 

鏡 晋吾(かがみ・しんご)
事業構想修士