いかにして大学に社会の知を取り込むか 制度化の先の検討が必要

実務家教員の段階論

前回、実務家教員には4つの段階があるということを指摘した。実務家教員のプレ段階を経て、さて、第一の段階は、実務家教員の可能性段階である。第二は実務家教員の制度化。そして第三は、実務家教員の普及段階である。この段階はそれぞれ、1985年の大学設置基準改正、専門職大学院の制度化、高等教育改革と連動する。

筆者は、実務家教員の根本的な役割は「社会の知を取り込む」ことであると考えている。ここでいう「社会の知を取り込む」とは、二重の意味がある。一つは、高等教育機関が「社会の知を取り込む」ということ。もう一つは、実際の実務現場でも新たに「(自分のもっている現場の外である)社会の知を取り込む」ことが必要だ、ということである。

この点は実務家教員のもちあわせるべき能力にも影響する。実務家教員がもっている知識を、社会の知として高等教育に取り込んでもらうためには、高等教育に固有の文脈に合わせる必要がある。他方で、実務家教員が自身の実務現場へ新たな知を取り込もうとすれば、そもそも自身の実務現場を相対化して、あるいは俯瞰して社会のどこに位置づけられるのかを見直す必要がある。この「社会の知を取り込む」ことの結節点が実務家教員にはあるのではないだろうか。

実務家教員が注目を集めるのは「社会の知を取り込む」必要があるときである。たとえば、1985年の大学設置基準改正の通知では、「大学における教育研究の一層の発展を図るためには、大学や研究所のみならず広く社会に人材を求め、その優れた知識及び経験を大学において活用することが必要であることにかんがみ」と書かれている。大学における教育研究をより充実させるために「社会の知を取り込む」必要があるということになる。

実務家教員の制度化段階

では、制度化の段階ではどうであったか。これに対応するのが、先ほど述べた通り2003年に成立した専門職大学院制度だ。専門職大学院は、社会や経済構造が変化するなかで、高度の専門性が求められる職業を担う人材、いわゆる高度専門職業人を育成するために成立した。専門職大学院では、専任教員のうちおおむね3割以上を「実務の経験を有し、かつ、高度の実務の能力を有する者」(実務家教員)で構成することが定められている。

大学設置基準では、あくまで「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有する」とされていたのに対して、専門職大学院では、「実務」というある種の限定がかけられている。専門職大学院の教育研究の目標である高度専門職業人の育成には、実務経験と実務能力が不可欠だ。この実務経験と実務能力を大学の外に求めたのである。これらはまさに社会の中にある知であるといえる。しかし、実務経験と実務能力そのものを専門職大学院という高等教育機関のなかに入れることは難しい。それは「理論と実践の架橋」という言葉が物語っているのではないか。

高度専門職業人として活躍するためには、理論そのものだけでは通用しない。その理論を現場でいかに使うのかが鍵となる。また、実務経験をそのまま伝えるだけでは体系的な知識とはいえない。外形的には、専門職大学院では研究者教員と実務家教員を配置することによって「理論と実践の架橋」を担保することになったように見える。しかし、専門職大学院はコースワークが中心で、自ら知識をつくることに重きが置かれていないように思う。専門職大学院に通う学生が、研究者教員が担当する理論的な授業と実務家教員の担当する実践的な授業を受講して、学生自身のなかで理論と実践を融合させる事態になっているのではないか。そうすると、学生には「理論と実践の架橋」をする能力が身につくかもしれないが、当の大学にはそうした知見が蓄積されなくなってしまう。

「理論と実践の架橋」の重要性を鑑みて制度化はされたが、実際どのように「社会の知を取り込む」ことができるのか。その結果を高等教育機関や私たちの生活で享受することができるのか、というもう一段進んだ段階を検討しなければならなくなったのである。