エビデンスに基づく独自の新構想

「奈良モデル」とは、地域の要望や声、エビデンスをもとに練り上げた政策を県から国に提言して実現する、従来とは真逆の進め方だ。古代から大陸・半島からの文化伝播、交易を通じて発展してきた奈良の哲学や思想が詰まったその行程は、事業構想にも通じる。

荒井 正吾(奈良県知事)
取材は、新型コロナウイルス感染症が収まった状況の中、ソーシャルディスタンスを十分に保ち行われた(2020年9月3日)

――今さまざまな政策を進められておられると思いますが、その根底にあるお考えについてお聞かせください。

奈良は古代より交易・交流によって栄えてきました。仏教や美術工芸品など、珍しく貴重なものが大陸から大和政権に伝わり、そうした刺激がカタリストとなり、日本の国をつくるという発想につながっていきます。日本人は真似が上手な民族です。絹織物が伝われば、機織りの技術を習得して織物をつくりました。もともとの技術は日本オリジナルのものでなくても、それを正確に再現し、さらにアイデアを加えて独自のものをつくることができるのは日本人の才能だと言えます。日本は交易・交流による刺激から、さまざまな構想(デザイン)を生み出し、それを実行(プログラム)することで発展してきたという感じがしています。そうやって独自のものを創り出すことで、イノベーションを起こしてきたわけです。

一般的に世相が安定しているとイノベーションは起こりにくいと言われていますが、安定していた江戸時代にもイノベーションはありました。伊藤仁斎や荻生徂徠が、陽明学をダイナミックに取り入れたことがそうです。彼らは陽明学の本質を深く追求し、その思想に自分の考えを加え、オリジナルの思想に発展させました。それが石田梅岩の心学や太宰春台の経世論へと派生していき、明治維新へとつながります。

陽明学が土台となった思想は現在も生きています。渋沢栄一の「論語と算盤」や松下幸之助の「松下イズム」など、倫理と資本主義のバランスを重視する「日本型資本主義」の土台になりました。近江商人の「三方よし」の考え方を理念に掲げる企業は今も少なくありません。

リチャード・ボールドウィンは、著書『世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション』の中で、人類は10万年前からモノ・人・お金の移動によって発展してきたが、デジタルが発達した今はアイデアの移動で発展する時代になったと述べています。

ただ、何も無いところから新しいアイデアを考えられる人はごく僅かしかいません。伊藤仁斎や荻生徂徠のように、カタリストによって刺激を受け、思考を発展させるパターンの方が断然多いと言えます。

では、地域の経済や行政を牽引するリーダーはどう育てればよいのか。リーダーにはデザイン力やプログラム力が当然求められますが、このデザイン力のもとになるのは志や夢です。この志や夢というものは教え込むことができません。

そこで今、奈良県立大学に新しい学部をつくる構想を練っています。志や夢が生まれてくるような刺激的な環境をつくり、その中で生まれた志や夢からデザインして、プログラムをつくり実行する。そういう力を持つリーダーを育成しようという構想です。デジタルを利用すれば、奈良にいながらにして世界中の刺激を受けることが可能です。リアルとバーチャルを上手に使いわけて、カタリストにあふれた環境をつくりたいと思っています。

「奈良モデル」の要はエビデンス
失敗を分析して大きな成功に導く

――他にもいろいろな政策に取り組まれていると思いますが象徴的な政策はありますか。

「奈良新『都』づくり戦略2020」に取り組んでいます。この戦略は、奈良県をよくするための托鉢の鉢で、県民のみなさまから「知恵のお布施」としてアイデアをいただくことを期待してとりまとめました。

奈良県の力を底上げして、新しい「都」をつくるうえで、まず、県民満足度調査、都道府県ランキング、エビデンス(統計)という3つを柱に、奈良県の強みと弱みを分析し、目指すゴールをターゲティングしました。

奈良県の目指すゴールの選択・ターゲティングの方法

出典:奈良県資料・一部編集して掲載

 

県民満足度調査結果からは、「市町村行政に対する住民意向の反映」「多様な就業環境の整備」など、重要度が高いのに県民の皆様の満足度が低い項目から優先してゴールを設定しています。都道府県ランキングからは、「旅館・ホテルの施設数(全国ランキング43位)」や「就業率(同最下位)」など、ランキング下位の項目から優先してゴールを設定しています。

さらに、エビデンスを分析して奈良の強みと弱みを抽出しました。例えば、「豊かな自然環境」や「世界遺産などの文化遺産が豊富」といった強みの部分は、観光交流の促進や歴史文化資源分野、芸術文化振興分野に力点を置いた施策の推進などでさらに伸ばしていきます。一方、弱みについては、それを補強する施策に取り組んでいきます。

ターゲットを定めたら、次はターゲットに関するデータを収集・分析し、関係者と目標を共有しながら戦略をプログラミングします。そして、その戦略を「奈良モデル」として実行します。

「奈良モデル」とは、行政の人材を総動員して、ゴールをめざす奈良県独自の実行方法です。

地域の行政資源(人材)総動員する(奈良モデル)

出典:奈良県資料

 

サッカーで例えるなら、県の役割は賢く考えながら、国や市町村というフィールドを走りまわるミッドフィルダーです。国に対して積極的に働きかけて、ゴールに必要な予算や助言などを獲得します。県庁内では横パスを出しあえるプロジェクトチームをつくり、連携してゴールを目指します。さらに市町村がゴールできるように、財政支援や技術支援などのキラーパスを出すこともありますし、市町村の広域連携への支援なども行います。また、ピッチの外にデータ分析を行う人員やスコアラーも配置しています。

戦略の実行では、とくにエビデンスを重要視しています。ナポレオンの時代に統計学は「数字の洪水」と言われたほど目覚ましく発達しました。しかし、どうも日本人はいまだにその数字の洪水の洗礼を受けていないように感じています。統計的に世の中の動きを見ることは経済の発展には欠かせません。事業を構想するうえでもデザインとプログラムをつなぐには統計処理が必要です。そして、現在はデジタル化によって統計処理能力が格段に上がりました。

そこで、奈良県の力の底上げにも、統計の重要性を認識してもっと利用した方がよいと考えました。例えば、戦略を県民のみなさまにご理解いただく際には、観念的に説得するのではなく、エビデンスに基づいた説得を行っています。これはグローバル社会で勝ち抜いていくうえでも非常に重要なことです。グローバル社会の海は精神主義では泳いでいけません。リアリズムが重要で、統計とロジスティックスで必要条件を満たさなければいけません。

戦略をデザインだけで実行に移せば、失敗する確率が高くなります。「奈良モデル」では、プロセスをモニターして失敗の分析をし、常に改善を加えて大きな成功につなぐというエビデンスの活用を基本としています。ピッチの外にデータ分析を行う人員とスコアラーを配置しているのはそのためです。

広域防災拠点構想が、
関空⇔奈良のリニア支線構想に発展

――知事が2017年に発言された関西空港と奈良をリニア中央新幹線の支線で結ぶ構想もエビデンスに裏打ちされたデザインなのですね。

そうです。発端は南海トラフ地震が起きた時の広域防災拠点を奈良につくりたいと考えたことです。東日本大震災の時に、内陸にある山形空港が輸送機や救援物資の受援拠点として大きな役割を果たしていました。あれを見た時に、南海トラフ地震が起きた場合に奈良の山の中に広域防災拠点があるといいのではないかと発想しました。

関空から奈良を結ぶ「リニア支線構想」

出典:編集部作成

 

候補地を探したところ、県南部の五條市に適地があることがわかりました。そこに2000メートル級の滑走路を併設した大規模広域防災拠点を整備する計画を立てたのです。南海トラフ地震が起きた場合に、紀伊半島全体をカバーできる大規模な防災拠点が必要になるでしょうから。

ただ、その場所に滑走路を建設するには谷を埋める必要があります。そこでリニア中央新幹線の工事で発生する排出土砂を活用すればいいのではないかと思いつきました。専用軌道を建設して、奈良市から五條市まで土砂を運搬して造成する。さらに専用軌道の用地をリニア中央新幹線の支線に転用できないかと。そうすれば防災拠点と奈良市や近郊の駅がリニア中央新幹線と結ばれます。それならば、五條市を経過して関西空港まで連結できれば、もっと機動力が上がるはずだと考えたのです。

地方の政策は地方から国に提言する
新しい地方創生モデルをめざす

――新たに取り組もうと思われている施策はありますか。

いま考えているのは土地利用です。日本の土地利用は、「農地」は農林水産省、「森林」であれば林野庁、「まち」は国土交通省というように管轄する官庁がわかれています。国土利用計画法に基づく土地利用基本計画はありますが、それが地域の土地利用に必ずしも合致しているとは言えない状況が続いていると思っています。

私は、これまでの国から県に、県から市町村へと下ろしていくモデルを良い意味で壊したいと思っています。「奈良モデル」がまさにそうですが、土地利用計画についても、地域の現場から出した計画を都市のマスタープラン化しようという発想で構想しています。それによって土地利用が効率化すれば、その方がいいと思っています。

もちろん既存のやり方との軋轢はあるでしょうが、エビデンスがあれば世の中を渡っていけると信じています。地方から国に提言する環境ができれば、自由な発想で現場からアイデアがどんどん生まれてくるはずです。

「奈良新『都』づくり戦略」にしても土地利用にしても、どのような施策でも進め方は同じです。エビデンスをもとにゴールをターゲティングして、その達成のためのプログラムをつくり、それを市町村と連携しながらゴールを目指す、この「奈良モデル」というやり方は今後も変わりません。そして、奈良県民のみなさまが本当に求めていることや、こうなればいいと思っておられることを実現していきたいと思っています。

左の「奈良県プレミアムセレクトハウス栽培刀根早生柿」は、収穫期が7月~9月上旬の夏に食べられる柿で、大きさ2L以上、糖度16度以上。ハウス柿の全国シェアは80%に及ぶ。大和野菜をはじめ、地域の多様な食材が手に入るのも奈良の魅力の一つ。

 

荒井 正吾(あらい・しょうご)
奈良県知事