2020年6月号

新規事業開発のための広報視点

コロナ禍をめぐるテレビ報道 非常時のメディアをあり方を考える

橋本 純次(社会情報大学院大学 広報・情報研究科 専任講師)

0
​ ​ ​

新型コロナウイルスが広がるなか、メディアの役割が問われている。危機発生直後の「非常時」におけるテレビ報道のあり方とは。また、回復期における"視聴者との対話を通じた世論形成"の必要性を提言する。

筆者は、メディアやコミュニケーションを専門とする、いわゆる文系の研究者である。普段は、オーディエンスがどのようにテレビを観ているか、また、それを前提としたメディア企業や政策のあり方はいかなるものか、といった事柄について、「人口移動」や「空間」といったキーワードと関連付けながら考えている。

こうした、ある種「平和な世の中」を前提とした研究や研究者は、近年多発する地震や台風といった自然災害のなかで、自らがいかに無力かを痛感することが少なくない。今般の状況についても同様である。しかしながら、各自の専門性に基づいて非常事態を分析・言語化し、後世において参照可能な形で記録することは、我々に課せられた使命のひとつであると考え、筆を執った次第である。

コミュニケーションの基本は、相手方の特性や状況を適切に見定め、対象に応じた方法で対話を試みることにある。特に、科学技術に関するリスク・コミュニケーションは、危機が発生していない「平常時」、危機発生直後の「非常時」、危機から復興しつつある「回復期」という3種類のフェーズに応じて戦略的に行うことが必要である*1。本稿では、新型コロナウイルス感染症の非常時・回復期におけるテレビ報道のあり方について検討する。

感染症に関する報道の失敗

本稿は、テレビ報道の質について意見を述べるものではない。各局とも限られたリソースのなかでコンテンツを制作しており、かつ総括する段階にない状況において、そこに批判的な目線を向けるのは生産的ではない。

一方で、現段階で指摘せざるを得ない失敗も存在する。すなわち、感染症に関するニュースの「構造」、平たくいえば、画面構成や映像のつくり方が、初期段階において「平時のニュース」とまったく同じだったことである。

多くの視聴者が既に気づいている通り、ワイドショーやニュース番組のつくり方には「お約束」が存在している。政府や自治体の会見、街の声、スタジオで受ける時間のバランスはどれくらいが適切か。専門家をスタジオのどこに配置し、どれくらい話を聞き、どれくらいの時間で次のニュースに進めばよいか。番組制作の効率化を進めるなかで、こうしたテクニックが各社で継承されているのである。平常時においては、こうした番組構成の固定性は視聴者にとって有用ともいえる。どこがニュースのポイントか、自分の知りたい情報がどのタイミングで登場するか、流し見をしながらでも「感覚で」理解できるようになるためである。

一方で、非常時にもかかわらず「型にはめた番組づくり」を続けるとどうなるか。国内初の感染者が出てから2カ月以上経って初めて、各番組がsocial distancing(社会的距離をとること)に対応するとともに、収録が困難な番組の放送が休止されるなど、目に見えた影響があらわれてきた。しかしながら、視聴者に危機感を抱かせたいのであれば、初期段階における対応が諸外国の番組づくりと比して不十分であった。あまりにも「いつも通り」すぎたのである。

東日本大震災の後、緊急地震速報や避難を促す放送のあり方について様々な方法が検討されてきた。それらは、いかに状況が「非日常」であるかをアピールするためのコミュニケーション戦略に関する議論であったといってよいだろう。

「いまの若者はテレビを観ないではないか」と主張する向きもあるかもしれないが、若年層がネットニュースを通じて「固定的で古いテレビでさえ、何やら大変なことになっているらしい」と知ることに意味がないといえるだろうか。テレビは「日常に埋め込まれている」「古い」マスメディアだからこそ、見る者に違和感を覚えさせ、行動変容を促すことも可能なのである。

回復期の報道に必要なこと

社会学者のジグムント・バウマンは、人々が拠って立つ雇用や家族といったシステムが融解した社会を「リキッド・モダニティ」と表現し、それを資本主義社会の帰結と位置づけた。そこでは、伝統的・固定的な制度に縛られない自由な存在、すなわち、グローバル社会を謳歌できる者こそが富を得る。言い換えれば、現代社会では「移動*2」の可否が貧富の差に直結している。世界規模での人口移動の常態化は、まさに今回のパンデミックを引き起こした最大の要因であった。

しかしながら、こうした状況は既に揺り戻しの渦中にある。数年間に、世界はその第一歩を踏み出していた。自国第一主義を謳うトランプ大統領の躍進や、イギリスのEU離脱をはじめとする世界的な右傾化の原動力は、移動の恩恵を受けられない大多数の国民であった。今般のパンデミックは、リキッド・モダン社会の終焉に向かう二歩目であると考えられる。

そうだとすると、感染症が落ち着いた後、すなわち「回復期」に起こるのは、国境の強化と世界的な分断であることが容易に想像できる。既に国内の一部においても、感染症対策の習慣のない諸外国を蔑視し、自国礼賛に傾倒する言説がみられている。

新型コロナウイルス感染症の回復期における報道に求められるのは、排外主義に向かう世論に冷静さを取り戻させることにある。その成否は、視聴者との誠実な対話を通じた世論形成ができるかどうかにかかっている。

残念ながらこれは、テレビのみならず、現在のマスメディアが最も苦手とすることでもある。原発事故のあと、国内外で被災地が受けた風評被害の払拭に、マスメディアはどの程度貢献できただろうか。インターネットの普及は、「テレビ離れ」なる現象に限定的な影響しか与えていないのである。

テレビは誰のためにあるのか。テレビを通じた適切なコミュニケーションとはいかなるものか。今回のパンデミックは、そうした事柄を送り手側が考え、メディアの自壊を食い止めるための、もしかしたら最後のチャンスかもしれない。

*1 文部科学省(2017)「リスクコミュニケーション案内」、p.29.
*2 ここでいう「移動」には、物理的移動のみならず、インターネットを通じたバーチャルな移動も含まれる。

 

橋本 純次(はしもと・じゅんじ)
社会情報大学院大学 広報・情報研究科 専任講師

 

0
​ ​ ​

バックナンバー

メルマガで記事を受け取る

メルマガ会員限定で、
ピックアップしたオンライン記事を
毎日お届けします。

以下でメルマガの登録ができます。

購読申し込みで全記事が読める

初月無料キャンペーン実施中

バックナンバー検索

注目のバックナンバーはこちら

最新情報をチェック。

会員になると 最新「事業構想」が読み放題。今なら

初月無料キャンペーン実施中