ミシュランシェフが絶賛する醤油職人 和歌山から世界へ

醤油発祥の地・湯浅町には、欧州ミシュランシェフたちから「世界一」と絶賛される醤油職人がいる。2018年11月、フランスで現地生産を開始し、高級ワインの風味が滲出した醤油で欧州の食文化に強烈なインパクトを与えようとしている。その歩みに迫る。

醤油発祥の地に誕生した革命的醤油

和歌山県湯浅町は「醤油発祥の地」として今でこそ有名だが、20世紀末には醤油屋の数が5軒を切るほど衰退していた。その状況を決定的に変えたのが1881年創業の調味料製造会社「丸新本家」5代目当主・新古敏朗氏(49)である。

湯浅醤油代表取締役の新古敏朗氏(左)。右はフランスの樽屋さん

新古氏は2002年、醤油作りの新たな可能性を追求すべく戦略子会社「湯浅醤油」を創業する。ポイントは2つ。1つ目は、今までになかった革命的な醤油を創出すること。2つ目は醤油作りのプロセスを間近で見学できるようにすることだ。

前者については、世界最古の料理書「斉民要術」(西暦580年編纂)に立ち返り、そこに記載されていた黒豆で作る醤(ひしお)の製法と湯浅伝統の醤油の製法(=古式製法)を融合させることで、2003年、斬新かつ非常に美味な醤油を創出することに成功する。「生一本黒豆」である。

醤油に含まれる旨味成分の量を表す全窒素分(%)は、日本の一般的な醤油が1.6であるのに対して「生一本黒豆」は2.4。原材料の面からも従来コスト的に不可能とされてきた「すべて国産」を実現した。「丹波の黒豆」、国産小麦、国産麹菌、長崎県五島灘の海水塩で、添加物は一切なし。仕込みに使う樽も他企業のようなステンレス製ではなく伝統の杉樽を用い、熟成期間も通常の「数カ月」ではなく実に1年半に及ぶ。

一方、後者の「見学」については、解説を聞きながら上記の製造過程を間近で見られる仕組みを作った。

「生一本黒豆」の評判は欧州にも広がり、ミシュランシェフたちがはるばる湯浅町を訪ね新古氏の醤油を買い付けるようになっていく。「フランス料理」に使うためである。

いち早くインバウンドを推進

欧州でのニーズの高まりに対応してEU圏への「生一本黒豆」など醤油の輸出を開始した新古氏は、同時に、大阪や名古屋などのバス会社と折衝し、自社を観光バスの立ち寄り先のひとつにしてもらう。「世界一」と絶賛される醤油の製造現場を直に見られるということで「見学」は好評を博すようになったが、新古氏は危機感を抱く。

「日本は少子高齢化が進んでおり市場は縮小し続けている。これからは外国人観光客を積極的に呼び込まないと先がない」

日本において「地方創生」が本格化する前、新古氏は県内の企業・自治体に先駆けて、インバウンド促進を決意した。しかし...

旅行会社との折衝を通じて、関西国際空港から外国人の団体客に来てもらうようにしたが苦労も多かった。たとえば、ある国の団体のバスが立ち去った直後は、社員総出で「修羅場と化した」トイレの清掃に追われるなど日常茶飯事であった。

諸外国の人々を迎え入れ続けたこの日々は、新古氏にとって「グローバル戦略の学習過程」でもあった。それを通じて、さまざまな文化・生活習慣に直接触れ、自分たちの醤油にどのような可能性があるか思索を深めることができたからである。

そうした中、シンガポールでハラル認証を取得し、イスラム圏の国々との関係性が生まれたことは今後の販路拡大につながった。

一級シャトーの
使用済ワイン樽で現地生産

2011年、東日本大震災後の福島第一原発の放射能問題で、実は、新古氏の醤油の欧州への輸出は途切れていた。日本製品の輸入が制限されたからである。

2014年にフランスのボルドーを訪問していた新古氏は、通訳を務めてくれた現地在住のワイン醸造家・内田修氏と接する中で、同地での醤油現地生産を思い立つ。

フランス現地の醤油製造小屋でテスト生産を行っている。醤油樽には使用済みワイン樽を使用。麹菌以外、原材料は100%フランス産だ

「日本からフランスに醤油を輸出すると、関税・輸送費・輸出入業者への支払いなどで現地販売価格が日本での3倍になります。それなら現地生産した方が安く提供できると考えたのです」

ボルドーといえばワインの世界的名産地であり木樽を使う点では新古氏と同じだ。そこで試しに未使用のワイン樽を入手して醤油を作ってみたところ結果は上々であった。

それを踏まえ、麹菌だけ日本から持参し、他はすべて現地調達して生産を開始することに決めた。日本より厳しい有機認証BIOを取得した大豆と小麦を用い、塩はブルターニュ地方の伝統製法で作られた『ゲランドの塩』。水は現地の良質な軟水を使用する。

ボルドー郊外のメドックにはシャトー(ワイン醸造所)が7000存在するが、一級シャトーに認定されているのは5つだけであり、そのひとつ「シャトー・ムートン・ロートシルト」のぶどう畑の隣で製造することも決定した。高級醤油としてのブランディングの一環である。

シャトー・ムートン・ロートシルトのぶどう畑の隣接地で醤油づくり

新古氏が最もこだわったのは木樽で、現地価格で1本10万円以上する一級シャトーの高級ワインを作るのに使用した樽を入手し、その風味が残ったものを使うことにしたのである。

すでに2020年春の初出荷に向けて現地での醤油作りを進めているが、湯浅町とは気候が異なるので温度調整など難しい面も少なくない。道具を揃えるのも一苦労で「大豆を炒る作業はパエリア鍋で代用しました」と新古氏は笑う。

YUASAを世界ブランドへ

ボルドーでの醤油現地生産に関し、新古氏はまだ正式発表をしていない。価格・販売数量・販売方法も決まっておらず、それどころか、どういう味の醤油になるのかもわからないからだ。しかし、ウワサは瞬く間にEU各国に広まり、各国のミシュランシェフたちからは早くも予約問い合わせが殺到しており、来春の出荷分は完売の見通しだ。

一方、地元・湯浅町は、新古氏に加え町役場の努力も相俟って2017年のインバウンドは対前年比3633.8%という驚異的な伸び率を示し、2018年も対前年比112.0%を記録するなど明らかな成長軌道に乗っている。

現地生産を通じて、フランス料理など欧州の食文化により適合する醤油が完成するならば、新古氏はもとより湯浅町の世界的知名度はいっそう高まるだろう。氏にとっても町にとっても初出荷となる2020年は大きな飛躍のチャンスである。注目したい。

 

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