「キャリア自律」が求められる社会に

社会の構造変動と
求められるキャリア

「人生100年」というと、個人の人生が長くなり、働く期間も長くなるという個人の変化が注目されるが、重要なことは、その100年という期間の中で、社会の構造が大きく変動する、ということである。日本国内をみれば、少子高齢化といった人口構造の変化をベースに、家族のありようや人々の暮らし方は変貌している。人工知能(AI)に代表される新しいテクノロジーが、仕事の構造や職業の世界を変えようとしている。また、経済活動は国境を越えグローバルに展開されている。

 

 

こうした社会の現状を指して「VUCAワールド」と言うことがある。現在、そしてこれからの社会は極めて変動が大きく、何が起こるか予測不可能になってきていることを言い表す言葉である。

「人生100年」時代には、寿命の伸長とともに働く期間が伸びる、だけではなく、大きく変動する社会の中で、その変化を的確にとらえてキャリア形成を進める力が個人に求められる。これからの100年という長い人生を生きるためには、安定的な社会において30~40年の職業生活を見通して形成したキャリアとは明らかに異なるキャリアの在り方を考えることが必要になっている。

図 社会構造とキャリア形成

出典:筆者作成

企業主導の人材育成が
機能した社会

これまでの日本社会におけるキャリア形成の在りようを振り返ってみたい。

一般的に、自分のキャリアに主体的に向き合う意識は、学校卒業前の就職活動の時期にピークを迎える。高校受験や大学受験など進学決定においても将来を漠然と考えてはいるが、大学生を例にとれば、3~4年次の就職活動の短い期間に、自己分析や働く意義を考え抜くことで、自分のキャリアを初めて主体的に考えることになる。

ところが、いったん就職してしまうと、その先は就職した組織に自身のキャリアを委ねていくのが多くの職業人の姿であった。配属部署や配属先で割り振られる仕事などに関して、自分の将来設計に基づいて自らが選択していくという場面はほとんどない。その意味で、就職後のキャリア形成については、ほぼ組織が決定権をもっていたと言ってよいだろう。

ただし、それには合理性があった。組織にとって有用な人材になるよう育成するという観点から、個人は様々な部署で仕事経験を積む。ここで、人材の「完成形」が明確に決まっていれば、その完成形に導くやり方は組織側に豊富なノウハウが蓄積されている。どのような順序で仕事に熟達していくのがよいのか、これまでの経験則が活用できるという前提条件があれば、個人が試行錯誤で職場や仕事を選んでいくよりも、組織の育成策のルートに乗ったほうが効率的である。実際にこれまでは、組織主導の人材育成のルートに乗れば、10年後、20年後にはスキルが形成され一人前として活躍できたのである。

しかし、前述の「VUCAワールド」に突入すると、もはや人材の「完成形」はだれも予測できなくなってしまう。不連続に変化する社会構造では、これまでの経験則の延長で「人材開発」を行っても、うまくいかないことの方が多くなってしまう。

そもそも、1つの組織の中で有用な人材に育成されたとしても、組織自体の存続すら不透明になってきており、組織に自分のキャリアを委ねることのリスクを、若者は敏感に感じ取るようになってきている。組織にキャリアを委ねてうまくいった時代は過去のものになりつつある。

不確実性とキャリア自律

不確実性が高まり先を見通せない時代になると、組織主導の「人材開発」は機能しにくくなり、自分のキャリアに自分が責任を持つという意味で、自律的なキャリア開発、すなわち「キャリア自律」が求められる。「自律」とは、自分の足で立ち(自立)、方向を決めて歩き出すことである。「キャリア自律」とは、組織の視点から育成されてきた仕組みを、個人の視点から再構築することと言える。

ただし、組織主導の人材開発に慣れた個人が、自分のキャリアを自律的に考えられるようになるか、というと、ただちに舵を切るのは難しい。最近では、企業において「キャリア研修」として、組織への依存傾向を払拭するために、5年後、10年後といった将来の自身のキャリアを社員に考えさせる研修などを実施することが多くなった。ところが、この種の研修を行うと、社員が将来を考えていないケースは決して少なくないという。働く場所も、仕事内容も、自身が決定することをしないできた個人が多かったわけなので、当然のことだろう。

たとえば欧米では、入職時に個人は職務を決めて応募し、異動も社内公募を基本にして自分が仕事を選択するという仕組みが根付いており、そこに自身のキャリアを折に触れて考える装置が埋め込まれている。それと比較して、日本の組織では、前述したような組織主導、すなわち「キャリア自律」からはかなり距離のある制度や職場慣行の実態があり、そしてその制度等をベースにした意識構造が作られてきている。

また、こうした仕組みを前提にしてきた日本企業では、自分のキャリアを自律的に考えるようになると、組織への求心力が働かなくなり、社外に出て行く社員が増えるのではないかと懸念されることも多い。社員を囲い込んで自社に必要な人材を育てるという考え方をベースにすると、自分のキャリアを考えると社外に飛び出す人材が出てくるかもしれないし、自律的思考ができるという意味で組織にとって有用な人材を失うかもしれない。しかし、筆者の研究によれば、自律的なキャリア志向をもちながらも今の組織にとどまりたいと考える個人がおり、それは自律を促す企業の仕組みと関連があると考えられる。

キャリア自律を支える仕組み

自律を促す企業の仕組みとは、たとえば、①欧米のように社内で新しい仕事が発生した場合に社内公募によって手を挙げる仕組みがある、②社内で新規プロジェクトを事業化する仕組みがある、③副業を認めて社外のネットワーク造りを奨励する、など、社員の自発的な意欲を引き出す仕組みである。近年になって、こうした制度を導入する企業が増えてきている。

社員の副業を認めているロート製薬では、働き方改革に関する社員からの提案が制度化の背景にあったという。目の前の仕事だけで終わるのではなく、成長しながら働きたいという観点から提案されたのが兼業解禁であり、ひいては組織のビジネス展開にも有効だという判断があった。また、社内公募が定着しているギャップジャパンでは、キャリアを自分で考えることをベースに、社内公募や選択型の研修制度などを実施している。

こうした制度を実施する企業では、社員の自律が社員の成長につながり、変革の時代の事業展開において社員の自発性や多様な経験をベースにしたアイデアが有効だという判断がある。社員のキャリア自律を促すことは、仕事へのモチベーションを高めることになり、結果として組織への求心力を高めるという側面も重視されている。

このような時代の変化の中で、個人は、自身のキャリアについて、折に触れて向き合っていくことが重要になっている。

リンダ・グラットンとアンドリュー・スコット著の『ライフシフト――100年時代の人生戦略』(邦訳版は東洋経済新報社から刊行)では、100年に及ぶ人生に必要な資産の1つに「変身資産」を挙げている。著者らは、変化に強くなるためには、自分を理解し、多様な人的ネットワークをもち、多様な経験をオープンに受け入れることが重要だと指摘する。

「変身資産」形成に、教育機関が果たすべき役割は大きなものがあり、特に、社外で学びたい、というニーズの受け皿として積極的な役割を果たすべきである。社会人大学院は筆者の学部でも設置しているが、多くの社会人が夜間と週末の通学により、「キャリアデザイン」を体系的に理解し、個々の仕事上の課題解決に理論的にアプローチするやり方を学び、その課題意識をベースにして論文執筆を進めている。学びを通じた学生同士のネットワークも、本業に大きく貢献しているようだ。

問題は、仕事が忙しくこうした機会を活用できない社会人が非常に多いことである。社会人の学びには、送り出す側の時間的な配慮が不可欠である。

若者を送り出す大学教育というという点に注目すると、まさに「就職」を支援するのではなく、「キャリア」を支援するという観点からのキャリア教育の重要性が増している。変化に強い人材育成は、高等教育においても求められていることを、大学の教員として強く認識する必要があると考えている。

教育機関や働く組織といった様々な場において、人生100年時代の「自律的キャリア」を支える仕組み作りが求められている。

 

武石 恵美子(たけいし・えみこ)
法政大学 キャリアデザイン学部 教授

 

 

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