今、日本企業に最も求められているもの

新しい局面にある日本企業

昨今の世界経済を取り巻く状況は、IT情報技術の進化と過剰流動性を背景とする投資ファンドによる投資効率の追求という大きな変化の中にある。

こうした中で、かつて世界市場を席巻した日本企業(とりわけ製造業)が、本来の強さを発揮できないまま、厳しい隘路に直面しているように見える。個々の理由はそれぞれあろうが、日本企業いや日本経済や産業全体が世界の流れの中で自らの立ち位置を見失い、自分たちが本来持っていた長所や良さそして強みを充分に発揮し得ていないように思われるのである。

これからの日本の経済や企業にとって―否日本だけでなく世界の経済社会にとっても―この「世界の状況変化」とは一体何であり、私たちはどのように対応すれば良いのであろうか?

ここで一度振り返ってみる必要があるのではないだろうか。

チャップリンの『モダン・タイムス』は、「労働者が機械に使われる」という生産革命の象徴にもなった。
Photo by movie studio

歴史は繰り返す―200年の産業構造の変化

道に迷い、先が不透明な時は、過去に立ち返ることが肝要である。一般に経済であれ、企業経営であれ、その基本要素は「人・モノ・金そして情報」である。この4つの要素の有り様を産業革命以降の200年の中で見つめ直すと、次のようなことが見えてくる。

生産革命の「19世紀」

産業革命の19世紀は生産革命の時代であった。近代化が進み、社会生活の利便性が飛躍的に進んだ一方で、それまでの社会(とりわけ農村と都市部との関係)が大きく変わり、農村からの労働者(人)が工場において機械に使われる事態が出現した。まさにチャップリン描くところの“モダン・タイムス”である。そして、持てる者(資本家)と持たない者(労働者)との大きな格差が生まれることとなった。

モノ造りの「20世紀」

次の20世紀は、如何に生産と人間との調和を図りつつモノ造りを行うかに努力が注がれた時代であった。

多くの人間を大規模工場で雇用し、彼らがほぼ同じ水準の技術や知識を持つことによって均一の品質の製品を大量に生産することが出来た。同時に、この事態はかってのモノ造りの担い手であった「職人」を表舞台から放逐する結果となった。

翻ってやや乱暴な言い方をすれば、この20世紀の日本企業のモノ造りは、欧米では表舞台から消え去った“職人的な技術力”を温存し、それと先進的な生産の技術システムを巧みに融合し得た類まれな生産文化を持っていた。

江戸時代より教育水準が相対的に高く、勤勉性といった社会文化上の特質もあって日本人は20世紀のモノ造りにおいて卓越した成果を生み出してきたように思われる。例えばトヨタの生産方式はその好例である。

日本のモノ造りが進歩を遂げたのは、その根底に堅実で安定した生活を送ることのできる社会文化や社会価値への希求があり、雇用された多くの人達が地道な努力と個と全体の調和を重んじたからである。そうした経済活動を特質付けてきた社会文化価値の例としては、近江商人の“三方良し”や住友家家訓の“浮利を追わず”そして近年の松下幸之助の“水道哲学”等、時代を問わず枚挙に暇がない。

こうした文化に見られる、勤勉さや堅実さが日本企業のモノ造りに大いに貢献し、その結果として世界的な評価を得てきたことは周知のところである。「堅実」「勤勉」とともに「整理整頓」「安心・安全」「調和」などの標語は、産業界だけでなく社会の安定と健全な進歩を支える重要かつ不可欠な要素であったように思われる。

情報技術の「21世紀」

21世紀になり(正確には20世紀の終わりごろから)、新たな技術が出現した。それが情報技術である。情報ネットワークの威力は言うまでもないが、例えばそれが今までの産業と組み合わされることによって、今までにない社会の実現可能性が高まってきた。

その一方で、今までのモノ造りの価値基準が相対的に下がり、「金と情報」を中心とする基準が圧倒的な評価を得るようになってきた。極端に言えば「人・モノ」造りから「金・情報」による投資基準によって私たちの経済活動のみならず社会生活までもが評価され支配されつつある。

この新しい価値観は、極めて少数の有能な人達が高性能の情報技術を用いることによってのみ達成される、という特徴を持っている。証券市場における超高速取引に見られるように、瞬時に巨額の金銭的成果を生み出すことが出来るが、その一方でその果実を享受できるのは、ごく少数の人達だけに限られている。この背景には、世界のGDPのおよそ3〜4倍にも膨れ上がった金融資産を抜きにしては語れない。

しかし、私たちにとって更に重要な点は、こうした21世紀の経済社会構造が、以前までとは異なって極めてアンバランスな状態にある、という点である。この社会は、1%の人間が国の富の半数近くを所有する勝者であり、かつその状況が“ゼロサム”であるが故に、富める者はますます富み、そうでない者は下層に置かれたままになる。

その象徴的な出来事が2011年の9月にアメリカで起きたウォール街でのデモである。リーマンショックに見られたように、世界の経済が投資ファンドの思惑に左右され、ごく少数の富む者とそうでない者との間の大きな格差が震源であった。このデモが、機会均等の国であるアメリカで起きたことを忘れてはならない。

21世紀の資本主義は飽くなき自己増殖という“本能資本主義”であり、始末に負えないのはそれがゼロサム的部分最適発想であることにある。

21世紀の「新しい格差」が生じているのである。

©everythingpossible/123RF.COM

20世紀のモノ造りはH.フォードにせよ、松下幸之助にせよ多くの資産家を生み出したが、その一方で圧倒的多くの中間層を生み出し、安定した社会を生み出すことに貢献した。そこにはフォードにせよ松下幸之助にせよ、あるいはその他の多くの経営者や経済人達が信奉し、また自ら創りだした経済倫理や経営者哲学が意識・無意識にあったことを忘れてはならない。

永続的な企業経営の指標は何か―ROEは万能か?

この“本能資本主義”を企業経営の指標から見ると「ROE(Return OnEquity)」となる。問題であるのはROEそのものではなく、本来あくまで1つの指標に過ぎないROEが、あたかも唯一の指標ないし目的であるかのように喧伝され、それによって、経済社会を取り巻く雰囲気もその方向に流れていることである。

ROEは投資家から見ての自分の投資に対するパフォーマンスに過ぎない。ROEを上げたことによって、株価が上がり、配当余力が向上すれば確かに投資家は喜ぶだろう。しかしそれによって切り捨てられた他の多くの関係者たちはどのようになるのか。本来企業(経営者)は多くのステークホルダーとの関係において全体最適を考え、それによって社会の中で末永い持続的経営を図ってきたはずである。昨今のROEの偏重をもっと真剣に考えるべきではないか。

恐らく、多くの日本の経営者は心の中では“ROE至上主義”に対する心理的抵抗を持たれているはずである。なぜなら、ROE偏重思考は投資家だけの利害という部分最適しかもたらさず、多くの関係者との繋がりを重視してきた日本企業の本来の強さを減少させるであろうことに気づいていないはずはないからである。

これからの経済社会と企業経営に求められるものは何か

「モノ」→「人・モノ」→「金・情報」といった歴史の変遷を振り返って、「人」「モノ」「金」「情報」という4つの要素の全体最適バランスを再構築してみてはどうか。最適バランスは1つだけの突出を容認しない。結局それは将来においてより大きな損失を社会にもたらすからである。リーマンショックのように。

それには欧米一辺倒(とりわけアングロサクソン)の指標崇拝ではなく、日本が以前から持っていた思想や価値基準、私達が昔から持っていた「矜持」「足るを知る」という“加減の文化”のバランス感覚であり、現代に置き換えれば「人・モノ・金・情報」の“全体最適”である。決してトップや一流を目指すな、といっているのではない。われわれは自分の発想の基層に、世間の雰囲気に流されずに、しっかりとした歴史観を持ち、日本の強さの原点を充分に認識することである。

そこで大切な点が2つある。まず第1は、そうした全体最適の状態を何らかの形で可視化することである。

ROEとの関係で言えば、例えば日本企業に適合した資本コストの一定の基準を明確にすると共に、日本企業が有していた社内の福利厚生といった定性的指標も同時に示しつつ、こうした日本企業の社会的資本部分の再評価をすべきであろう。更にまた、数多くのステークホルダーとの相関関係とそれによる経済社会との相乗効果を改めて試算することも必要である。そうすることによって、逆に日本的経営の問題点もより浮かび上がるのではないか。完全な全体最適を最初から望むべきではない。

第2に、日本社会のこうした特徴をもっと世界に発信することである。現在、日本文化や社会のもつ良さが評価されている。決して定量的に測れなくとも、調和重視の思想・文化は世界の安全や安心に必ずや通じるものである。

情報技術と金融が不要になるわけではない。要はその利用の仕方である。情報技術もお金も道具に過ぎない。道具は使い方によっては毒にも薬にもなる。その判断は、つまるところ人間に任されることになる。その意味で人間としての企業経営者の思想・哲学がより問われている時代なのである。

Photo By Dmitriy Shironosov

大平 浩二(おおひら・こうじ)
明治学院大学 教授

 

『人間会議2016年夏号』

『人間会議』は「哲学を生活に活かし、人間力を磨く」を理念とし、社会の課題に対して幅広く問題意識を持つ人々と共に未来を考える雑誌です。
特集1 次代につなぐ 日本の心と文化創造--多様性と調和の五輪に向けた動き
特集2 コーポレートブランド--歴史と伝統をどう生かすか
特別企画 日本のエンブレム観--九鬼周造の「いき」の美学から
勝井三雄(グラフィック・デザイナー)、大久保喬樹(東京女子大学 特任教授)、他
(発売日:6月6日)

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