多摩川精機 地域の連携で「次の成長産業」を創出

米ボーイングとも直接取引するなど、グローバルに展開しながらも、あえて飯田市にとどまり続けることを選び、地域の発展に力を注ぐ多摩川精機。新たな産業を生み出すため、他社とのネットワークを築き、地域の未来を展望する。

多摩川精機が本拠を置く長野県飯田市。航空宇宙産業の集積地として競争力強化を目指す

トヨタのプリウスをはじめ、世界のハイブリッドカーに搭載される角度センサーのほとんどを独占して供給する企業が、長野県飯田市にある。その企業の名は、多摩川精機。今年1月にはアメリカの航空機メーカー・ボーイングと、2016年以降に量産される次世代航空機の交換部品について直接供給での契約を取り交わすなど、地域から世界を舞台に事業を展開している。

多摩川精機は「地域を工業で再生し雇用を創出する」ことを目標に、創業者である萩本博市氏(現会長の父親)が1938年(昭和13年)、東京・蒲田で創設した。創業から3年後の1941年に萩本博市氏の生まれ故郷である飯田市に工場を設立。戦時中には軍用機の油量計の製造を行い、軍需工場として地域に2000人もの雇用を生み出すまでに成長を遂げる。

「そうして創業者の志がまさに形となったわけですが、敗戦により主力であった軍用機の仕事を失うことになりました」

多摩川精機の代表取締役副会長、萩本範文氏は、多摩川精機の歴史をそう語る。

萩本 範文 多摩川精機 代表取締役副会長

「オートメーション化の流れに乗り、敗戦のショックから徐々に復活を遂げました。昭和20年代~30年代は日用品生産を行い、その後、航空機体などの部品の製造を手がけました。昭和40年代からは航空機で培った技術を活かし、プラントや工作機械などの制御装置に進出したのです」

水平分業型のネットワークへ

もともと、飯田地域の基盤産業は蚕糸だった。それが衰退し、地域経済が危機に陥っていく。そこから精密機械、そして電子・情報機器へと産業を変遷させていった。多摩川精機の復活の歴史は、蚕糸から精密機械・電気機器製造へと移行していく地域の歴史でもあった。

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