2014年9月号

地域未来構想 秋田県

名旅館は一日にして成らず 日本一の秘湯「鶴の湯温泉」探訪

佐藤和志(鶴の湯温泉代表取締役)

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ブルーガイドの「温泉百選」で5年連続全国第1位に輝くなど、近年、日本を代表する秘湯の宿として、人気が沸騰している乳頭温泉郷・鶴の湯。しかし、そこに至るまでの道のりは想像を絶する苦難の日々だった。

「混浴露天風呂」。鶴の湯は、ニューヨークタイムズをはじめ欧米のメディアでも広く取り上げられ、英国の日刊紙インデペンデントでは「大和魂漂う秘境」と紹介された

日本で一番人気の秘湯の宿

十和田八幡平国立公園の南端、原生林に包まれ、“日本の原風景”と称される乳頭温泉郷。湯治場としての開湯は約380年前。鶴の湯、黒湯、孫六、蟹場、大釜、妙ノ湯、国民休暇村という7つの温泉からなる。

中でも最も古い歴史を有する鶴の湯は、泉質・効能の異なる4本の源泉(白湯、黒湯、中の湯、滝の湯)を持ち、いずれも自噴している。“源泉かけ流し”というだけで稀少価値が高い現代にあって、まして自噴泉となれば、日本の温泉施設全体の1%にも満たない極めて稀有な存在である。

こうした貴重な温泉資源をベースに、料理であれ、建物や周辺環境であれ、この地域ならではの自然や歴史を最大限に生かして、往時の湯治場の風情を今に伝えている。

とりわけ、江戸時代、秋田藩主佐竹公が湯治に訪れた際に、警護の武士たちが控えていたという「本陣」は、宿泊客に人気が高い。

各部屋には囲炉裏がきられ、夕餉ともなれば、ここで、地の食材である岩魚の串焼きや、山菜料理、そして、名物「山の芋鍋」が振る舞われる。この山の芋鍋は、枝豆から作った自家製味噌、地元・神代産の山の芋の団子、豚バラ肉の相性が素晴らしいと評判だ。

佐藤 和志 鶴の湯温泉代表取締役田沢湖観光協会・会長、国土交通省「観光カリスマ」、日本秘湯を守る会副会長も歴任

代表取締役の佐藤和志氏(67)は、「雑草に囲まれた温泉宿というのが鶴の湯のイメージで、お客様には“すきま風をお楽しみ下さい”と申し上げているのですよ」と笑う。

しかし、ここ鶴の湯が、その人気において他を圧倒し得ているのは、そうした自然環境を最大限に生かしつつも、同時に、現代人としてどうしても譲れない必要最小限の機能性をしっかりと確保しているからである。

一例を挙げるならば、“すきま風が吹き込む”とされる各室内には温風暖房が完備しており、トイレは温水洗浄便座だ。

鶴の湯の象徴と言われる混浴露天風呂は、美しい乳白色の湯で、地中からぶくぶくと源泉が湧出し続けている。筆者が訪れた日は、平日の昼間で、しかも台風接近でかなりの降雨があったにも拘わらず、欧米人カップルや、日本各地から来た“温泉好き”の方々で賑わっていた。

湯船はもちろん、風呂上がりに屋外の椅子で一服している人々も、みな鶴の湯に来ることの出来た幸福感に浸り、しかも、その気持ちを共有しあっている。初対面なのに、まるで旧知の間柄のように気楽に話しかける。ここでは、俗世間での社会的立場など関係ない、幸運にも鶴の湯を満喫し得ている仲間同士なのだ。かつての湯治場のコミュニケーションがこうした形で残っている点は、大きな魅力だろう。

だが、鶴の湯がここに至るまでの道のりは決してたやすいものではなかった。

雪に包まれた鶴の湯温泉

押し寄せる苦難を乗り越える

「父は秋田県内で左官業を営んでいたのですが、長年の念願だった温泉宿経営に乗り出すことになり、乳頭温泉郷の大釜温泉の経営権を得ました。しかし、傷みがひどく、建物の改修などで借金を抱え、大変なことになっていました。

当時、私は由利工業高校を卒業し東京の製紙会社に就職して3年目だったのですが、三男三女の末っ子で、“独身で身軽”ということで父に呼ばれ、会社を辞めて宿の経営に関わることになったのです」

ふつうに湯治客や観光客をターゲットにしても集客は難しいと考えた佐藤氏は、ブームになっていた登山のお客に着目。当時、東北地方にはまだ本格的な山小屋のなかった中、温泉のある山小屋として大釜温泉を整備。露天風呂を造成することで人気を博すようになった。さらに冬には、スキー客が多数訪れるようになって、経営は安定するかに見えた。

ところが、10年目の1979年、宿泊客の失火で全焼。

「建物がなくなったために借地権もなくなりました。先方に譲ってほしいと願い出たのですが、断わられ、これから先どうしたものかと思い悩みました」

そんな時、同じ乳頭温泉郷の鶴の湯の13代目が体調を崩し、しかも子どもに承継の意思がなく困っているという話を耳にする。

早速話し合いに入り、やがて、経営権を譲り受けることに成功する。

1983年、佐藤氏のもとで鶴の湯の新たな歴史が始まったが、課題も多かった。鶴の湯は県道から分かれた狭い砂利道を3・5kmも入った原生林の中にあって、電気も電話もなく、トイレは汲み取り式。良質な温泉は湧出していたものの露天風呂はなく、施設の老朽化も深刻だった。冬は豪雪のため半年間休業し、夏の半年間だけ湯治客が訪れていた。

「 最初に手掛けたのはトイレの洋式水洗化です。当時の湯治場としては異例だったと思いますが、まずは清潔にすることが大事だと思いました」

また、半年営業による年商が500万円という状況下、中古の500万円のブルドーザーを購入して、県道から鶴の湯までの悪路を自力で整備し、露天風呂(現在の混浴露天風呂)も造成した。

「電話についてはとりあえず、無線電話を導入しました。電気は、ディーゼルの自家発電機で毎日3時間発電していたのですが、電力が強弱して安定しない上に、騒音がひどいので、船大工に依頼して木製の水車を作って発電しました。

これで電話と廊下の電気だけは24時間確保できるようになったのですが、天候の影響を受けやすく、また、秋になると水車がたびたび落ち葉で詰まってしまい、そのつど処理に行かなくてはならず、大変でしたね」

その後、湯治場を清潔にすると共に、一泊二食付きの“温泉旅館”にしたことで客足が伸び始め、500万円だった年商は8000万円にまで拡大する。

しかし、そんな佐藤氏を待ち受けていたのは、新たな苦難であった。

鶴の湯「本陣」。江戸時代に、秋田藩主・佐竹公が湯治に訪れた際、警護の武士たちが控えていたとされる茅葺き屋根の長屋。宿泊客に高い人気を誇る

フランスのリゾートに学ぶ

「バブル崩壊直前の1991年のことです。鶴の湯の1km手前のエリアで、200億円のリゾート開発計画が持ち上がったのです。プールやテニスコートに国際会議場まで作るというのですから、そんなものができたら、鶴の湯になんて誰も来なくなってしまいます。友人の父親からは“男の子だったら、その土地を買い取れ”と発破をかけられました(笑)」

すぐに上京し、地権者と折衝を重ねて約2億1500万円で買い取ることに。

「当時すでに5000~6000万円の借入金がありましたから、それを合わせると3億円近い借入になります。そして、それとは別に年商8000万のその頃は毎年4000万円借入しないと年が越せず、しかも、それは短期借入で夏までに全額返済しているという状況でしたから、この新たな買取りは大変な重圧になりました」

ちょうどこの年、フランスの企業からの招待で佐藤氏は渡仏する。そして、初めて見る欧州リゾートに圧倒的な感銘を受けたという。

「徹底的に景観を保護し、お客様のプライバシーを守る。これこそが、リゾート地のあるべき姿なのだと痛感しました」

帰国すると早速、次の手を打つ。鶴の湯から1・6km離れた森の中に、1億円かけて全室バス・トイレ付きの別館を建設することに決したのである。莫大な借金を返すための起死回生の策でもあった。ところが...

「工期半年の予定だったにも拘わらず、結局3年かかり、借金はとうとう最高6億円にまで膨れ上がりました」

凄まじいプレッシャーに日々押し潰されそうになりつつも、佐藤氏は、別館建設に併せて、鶴の湯にも電気・電話を通し、景観を守るために、電線・電話線はすべて地下に埋設した。

1995年、ついに別館「山の宿」オープン。

ところが期待に反して、別館は人気を呼ばず、お客さんは相変わらず、鶴の湯の本陣につめかけ、別館に宿泊するお客さんもわざわざ鶴の湯まで入浴に来る有様だった。

「いよいよ、もうダメかと思いましたよ」と苦笑する。

「“別館がメインで鶴の湯はサブ”という位置づけで考えていたのですが、やっぱり鶴の湯をメインにした方が良いと思い直しました。そして、冬季営業(通年営業)に踏み切ったのです。家内も、“お金をかけても良いから、鶴の湯をちゃんとしましょう”と言ってくれました」

この冬季営業開始の効果は絶大だった。その頃、1億4000~5000万円だった売上が一挙に3億円へと倍増したのである。

とはいえ、6億円もの借金。経営は苦しかった。

「秋田新幹線が開通する1997年まで頑張れば何とかなると思って、歯をくいしばって耐えました」

果たせるかな、秋田新幹線が開通し、田沢湖駅からお客さんが来るようになってからは、曜日や季節を問わず、安定的に、宿泊客数を確保できるようになった。ここから鶴の湯の経営環境は好転してゆく。

「らしさ」を追求することが大事

鶴の湯の名物「山の芋鍋」。地元名産の比内地鶏はもとより熊肉・鴨肉も試したが、味噌・山の芋との相性は豚バラ肉が一番だったという。これを目当てに来るお客さんも多い

鶴の湯が全国的な人気を獲得することを通じて、乳頭温泉郷全体が“全国区”になった。他の6つの温泉も、それぞれ独自の人気を博すようになったという点で、佐藤氏の功績は大きい。

「お客様の喜ぶことをすると、地域の集客になるのです」と顔をほころばせる。

では、お客の喜ぶこととは何か?

それは冒頭でも述べたように、現代人としてどうしても譲れない必要最小限の機能性を確保しつつも、自然環境を最大限に守り、かつ生かしている点であろう。

「建物の改修に当たっても、地場の木材しか使いません。高級ホテルでは外材・合板を使うのが普通ですが、私はあくまでも日本の風土に合ったもの、そして、この地域に合ったものを使うようにしています。

植生を維持することは大切です。綺麗だから、あるいは流行っているからと言って、この土地にない植物(外来種)などを持ち込むようなこともしません。だから“雑草に囲まれた温泉宿”になっているのですが(笑)」

人気が沸騰しているからと言って、これ以上の規模拡大をするつもりも一切ないという。

「2004年に日本全国の温泉地で大問題になった“温泉偽装事件”も、秘湯ブームに乗って建物や露天風呂などの拡張工事を実施して泉質が変化したことが原因だったりする訳です。

それに今は、個室露天風呂付がブームですが、そうしたブームに乗ると“画一化”してしまい、いずれはお客様に飽きられてしまいます。

でも、自然とか素朴という部分は飽きられません。だから、そこは守っていきます。

とはいえ“鶴の湯らしさ”とか“乳頭温泉郷らしさ”というモデルが存在する訳ではありませんから、それは自分たちで作っていかないといけません。

そのためにも、国内外を問わず、絶えず見聞を広めることが経営者として大切だと私は思います」

鶴の湯の名物のひとつ「水車」。自然の景観を守り、自然の持つ力を活かす小水力発電だったが、天候の影響を受けやすく、秋には落葉が詰まるなど苦労も多かったという

地方創生のアイデア

月刊事業構想では、「地域未来構想  プロジェクトニッポン」と題して、毎号、都道府県特集を組んでいます。政府の重要政策の一つに地方創生が掲げられていますが、そのヒントとなるアイデアが満載です。参考になれば幸いです。

※バックナンバーには、そのほかの都道府県も掲載されております。是非ご一読ください。

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