6年のブランクを経て五輪の舞台に 陸上・寺田明日香の原動力

早くから陸上競技選手として嘱望されながら、志半ばの23歳で引退した寺田明日香。結婚・出産・競技転向を経て、6年ものブランクののちに復帰すると、その年には日本記録を樹立。念願の初五輪となる2020東京五輪では日本人選手として21年ぶりに準決勝まで進出した。選手として活躍する一方で、現在は会社も設立し社長に就任。そのパワフルな行動力の源とは──

文・油井なおみ

 

寺田 明日香(陸上競技選手〔2020東京五輪・日本代表/100mハードル〕)
Photo by 株式会社Sports SNACKS

夢の五輪出場ならず引退
絶望から新たなる道へ

幼い頃からかけっこの速さは群を抜いていた。小学4年生で出場した札幌市の大会では、いきなり2位。5年生でクラブチームに入ると、その年には全国2位となった。

小学校の卒業文集に書いた言葉は、「オリンピックに出るぞ」。

しかし、寺田明日香本人は、「ここまで長く陸上に取り組むと思っていなかった」と振り返る。

高校入学後にハードルを始めると、高校総体で3連覇。卒業後も社会人選手として日本選手権3連覇を果たし、日本では向かうところ敵なし。当然、2012年に開催されるロンドン五輪への出場も期待されていた。

「自分もそのつもりで、五輪出場後のキャリアまで考えていました」

目の前にまっすぐ続いているかに見えた道。それが身体の不調によって、突然途絶えてしまった。

「何のために陸上を続けてきたのか、どうして走れなくなったのか、そればかりがぐるぐる頭の中を回るようになってしまいました。もともと、自分一人で完璧にやりとげたい、と思うタイプで、人に相談もできず、摂食障害にもなってしまったんです」

強豪の実業団チームに所属しているにも関わらず、自分の成績はそこから外れている。そう思いつめ、復活の道筋も見出せず、周囲の選手やコーチたちとも距離があいてしまった。

救われたのは母の対応だった。

「母も元選手で陸上競技が大好きなので、辞めたいと言ったら反対されると思っていたんです。ところが、『明日香がいいならいいんじゃない』とあっさり言ってくれて。それで、大切なものは陸上だけじゃないと思えるようになったんです。当時は23歳。新卒で社会人になるのと変わらない年齢でしたから、今から別の道に進んでも遅くないと思えました」

寺田の頭にあったのは、19歳で初めて出場した世界大会で見た、他国のアスリートたちの姿だった。

「子どもを連れてきている女性の選手が何人かいらっしゃったんです。日本では見たことのない光景で、自分の目指しているものを捨てずに、出産して家庭を築くことも両立していてかっこいいと思ったんです。自分は陸上で生きていくとは思っていませんでしたが、自分で生きる術を身に着け、結婚・出産も実現しようと決意しました」

2013年6月、引退。その年の9月には東京での五輪開催が決定した。

「当時つきあっていた今の夫と『東京五輪を家族で見よう』と話し、家族計画がスタートしたんです。一方で、大学で学び、社会に出て働きたいという夢もあったので、同時に進めました」

ラグビーの日本代表練習生に抜擢
故障が再び陸上へと導く

陸上引退を発表した際、別の選択肢もあった。7人制ラグビーでリオ五輪を目指そうという誘いがあったのだ。

「誰かに見られてスポーツに取り組むのが辛くて。お断りしたんです」

それから3年。大学と仕事、そして子どもにも恵まれ、充実した日々を過ごしていた寺田に、再び7人制ラグビーの関係者から声がかかった。

「ちょうどリオ五輪が終わったときで、次の東京五輪を一緒に目指そう、と。引退から3年も経つのに、まだ必要としてくださる場所があるということに心を動かされました。リオ五輪は、自分ならどう動こうと考えながら見ていたので、その直後にお話いただいたことも大きかったですね。夫の後押しや義母の協力もあり、決断しました」

母となってからの現役継続・復帰は、日本において今もまだ少ない。さらに待っているのは未経験の競技だ。しかし、寺田の抜群の瞬発力は、日本代表チームにとって大きな戦力として期待されていた。ところが、試合中の負傷で半年間の離脱を余儀なくされた。

「復帰後、日本代表候補の合宿に呼んでいただいたんですが全く動けなくて。日本代表チームのラグビーを理解できていないと思い知らされました」

その時点で東京五輪まで1年半。一度、選抜からふるい落とされたら戻るのは難しい。頭をかすめたのは、きらいになって辞めたはずの陸上競技。ラグビー選手として走るうちに、走る楽しさを再び感じるようになっていた。

「ラグビーで代表になれる確率も低いのなら、陸上でまた挑戦したいと思うようになったんです。ただ、ラグビーに転向後、メディアで大きく取り上げていただき、多くの方に応援してもらったので、今さら陸上に戻るといったらどういわれるのだろう、と、正直怖かったですね」

このとき寺田は、陸上選手時代、仲違いして別れた当時のコーチに会いに、北海道を訪れている。

「母校のコーチをされていたので、高校生と一緒に走らせていただいたんです。そこで『陸上に戻れると思いますか』と尋ねたら、『30歳になったか』と聞かれたんです。当時28歳だったので『まだです』と答えると、『じゃあ、いけるかもしれない』と。最初の現役当時はうまくコミュニケーションが取れませんでしたが、そこで和解もでき、背中を押してもらえました」

もう二度と戻ることはないと思っていたトラック。心身をすり減らた場所に、自ら帰ると選択したのだった。

「今思うとクレイジーですよね(笑)。でも、引退前はストイックに努力するのが当然という考えだったのですが、復帰後は、とにかく楽しくて。きつい練習ももちろんありますが、失敗したら次はこうすればクリアできるかな、とかゲーム感覚で取り組める方法を考え楽しんでいます。娘が小学生になって手がかからなくなったのも大きいですね。ラグビーの時はまだ2歳で、保育園探しから難航して大変でしたから。保育園が見つかってからも、遠征の時期は辛かったですね。2週間遠征に行き、3日戻ってまた遠征、という生活で、私の方が寂しくて」

そんな時期に背中を押してくれたのは、他でもない娘だったという。

「『いつもいなくてごめんね』と娘に謝ったら、『大丈夫、ママのお仕事は練習。私のお仕事は保育園』と言ってくれたんです。もう夫とふたりでボロ泣きです。娘がそういう風にオリンピックを目指してくれているなら、私はもっとがんばらないとと思えました」

すべて自分ひとりで完璧にこなす。最初の現役時代は、そうストイックに考えていた寺田だが、今はスタッフや家族と密にコミュニケーションを取る。強い寺田をつくる最大の秘訣だ
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「一緒に東京五輪を見る」という夢が「一緒に出場する」という夢に変わり、寺田をより強くした。

アスリートとして起業家として
ひとりの人間として新たな夢が広がる

「東京オリンピックが現役選手の区切りになると思ってやっていました」

陸上復帰後は日本新記録を樹立。再びトップ選手に返り咲いた。東京五輪では、日本人選手としては21年ぶりに準決勝進出を達成。にもかかわらず、寺田には割り切れない思いが募った。

「自分が目指したのは決勝の舞台。悔しい気持ちを残してしまったんです」

現役続行を決意した寺田だが、今年7月開催の世界陸上は出場を辞退した。

「目指しているのは次のパリ五輪。そのとき私は34歳。アスリートとしては若くありません。ならば、しっかり休みを取って心をクリアにし、けがをしない体づくりをして、パリへと始動する必要があると思ったんです。あと、女子選手は開催される大会はすべて出場することが多いんですが、男子は大きな大会をいくつか選択して出場する選手が多いんです。戦略としてそれはありじゃないかと。それに、今年はゆっくりやると決めたら、来年はパワーアップしていないと、と自分にプレッシャーをかけることもできます」

寺田は21年12月に会社も設立。自ら社長に就任し、選手の育成や食育関連事業のほか、女性アスリートのキャリア形成といった社会課題にも取り組んでいる。もちろん、「家族との時間も大切にしたい」。

自らの考えやライフスタイルなども積極的に発信している寺田。そこには、後進たちの為に道を切り開く姿を見せるという意味もあるのではないか。

「自分がパイオニアになるとか、背中を見せよう、という気持ちは全くないです。ただ、『寺田明日香ができるなら自分にもできるかも』、『そういうやり方もあるんだ』など、後輩たちが何かしらプラスに考えられるヒントとなれればいいな、とは思いますね」

女性アスリートは、現役を続けるために出産を先延ばしにしたり、諦めることも多い。7月に世界経済フォーラムが発表したジェンダー・ギャップ指数で、日本が146か国中116位だったことにも触れてこう語った。

「年齢を重ねれば体も変わるし、ホルモンバランスの変化でメンタルも不安定になります。優遇して欲しいわけではなくて、それぞれの体の特徴への理解が広がり、性別を問わず安心して活動できる世の中になればと考えています。娘が将来、何かやりたいことができたとき、そのひとつを頑張るために他を諦めるのではなくて、どちらも目指せる社会を作りたいですね」

陸上競技の未来だけを見ているわけではない。社会全体を、そして未来に羽ばたく子どもたちの健康やメンタルヘルスなどを守る事業にも取り組む。

「陸上競技はスポーツの基礎。走る、跳ぶ、投げるなど、どの競技にも共通する動きがたくさんあります。もちろん、トップを目指す選手の育成にも取り組んでいますが、まずは体を動かして、自分の体を理解し、大切にするという考えを浸透したいと考えています」

子ども時代から競技性を優先し、勝敗のみにこだわることには警笛を鳴らす。

「他人を陥れようとまではいかないですが、他の選手がけがをしたらいいのに、とか、人の調子が気になっちゃう。ベクトルが自分ではなく外に向き、人と比べないと自己肯定力を上げられなくなるんです。競争は成長する上で大事な要素のひとつではありますが、それよりも自分が夢中になれるとか、誰かを喜ばせたいとか、ポジティブな感情が大きなモチベーションとなって伸びていくんです。ひとつ失敗するとすべてダメと思ってしまった時期が私にもありました。でも人生80年と考えたら、失敗なんてほんの一時のこと。ひとつのことに固執しないで、他に目を向けたり、別の世界でも活躍できる自分を作るということも大切ですね」

また、アスリートのセカンドキャリアや、サポートスタッフたちの働く環境の改善にも取り組む。

「選手を支える側の人は選手の何倍もいます。保育士さんなどの給与の低さが社会問題になっていますが、まさに同じで、やりがいはあるけど、辛いことが多く、待遇も良くないんです」

トップアスリート、社長、母、妻。どれも手を抜けない役割だ。

「すべてちゃんとできているかはわからないですよ。家の中はごちゃごちゃですから(笑)。でも、『やらなければいけない』と思うことはやめたんです。Wワークや家庭との両立のコツは、『できない自分を許す』こと。以前の私は、どれも完璧でなければ許せないタイプ。子どもが生まれたことやラグビーなどを経験したお陰で、考え方を変えられました。一人で戦うのではなく、コミュニケーションの大切さも学ぶことができました」

辛い思いをした経験も含め、すべてのキャリアが今の強い寺田の力となっている。2年後、さらなる経験が血肉となり、パリ五輪でさらに輝く。

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寺田 明日香(てらだ・あすか)
陸上競技選手(2020東京五輪・日本代表/100mハードル)

 

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