焚き火は文化であり「職業」 焚き火マイスター猪野正哉の半生

キャンプブームと相まって、焚き火が今改めて注目されている。そんな焚き火を文化であり、職業として確立させたのが、『焚き火マイスター』こと、猪野正哉だ。ファッションモデルとして活躍後、事業の失敗から借金を抱え、10年もの間引き籠った猪野がどのように復活を遂げ、現在のキャンプブームをどう見つめて、今を生きているのか。

文・油井なおみ

 

猪野 正哉(アウトドアプランナー 焚き火マイスター)

人間不信に陥り転落した10年
救ってくれたのは『山』だった

美しく揺れる炎、薪のはぜる音に芳しい香り。五感が満たされ、深い安心感に包まれる。

千葉県の自然豊かな地域で生まれ育った猪野正哉。幼い頃から、木々に囲まれ、焚き火にも親しんできた。しかし、それは猪野にとっては日常生活の一部。焚き火を“愛する”という感覚はなく、ましてや職業にするという発想などみじんもなかった。それ以前に、“なりたい職業”がなかったという。

「小さい頃、サッカー選手や野球選手になりたいな、ということは言っていたと思いますが、それに向けて何かに取り組んだということはなかったですね。中学まで野球をやっていましたが、高校では坊主にするのがいやでサッカー部に入ったくらいですから」

とくに目指すものもなく過ごしていた浪人時代、当時の恋人が応募したファッション誌『メンズノンノ』の専属モデルオーディションで受賞。そのままモデルとして活躍する一方、情報誌などでライターとしての仕事も得るようになった。流れに身を任せるまま、順風満帆に仕事を広げていった猪野は、27歳で友人らとアパレルブランドを創業。しかし、これは軌道に乗せることができず、大きな借金を抱えてしまった。友人たちは逃げるように去り、孤立した猪野は極度な人間不信に。すべてを捨て、実家に引き籠った。

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