「峠の釜めし」の荻野屋 新業態に挑み、観光依存からの脱却を
益子焼の器に入った駅弁「峠の釜めし」で知られる荻野屋。2020年に創業135年を迎えたが、コロナ禍による観光業の不振で大きな打撃を受けた。業態転換や新商品の開発などにより幾多の危機を乗り越えてきたこれまでの歩みと、ニューノーマルを見据えた経営戦略について高見澤社長に聞いた。
鉄道敷設で生まれた弁当が
顧客の声で温かな釜めしに
荻野屋のルーツは135年前、碓氷峠の麓にあった小さな温泉旅館に遡る。1885年に信越本線が敷設されるという情報を聞きつけた同社の創業者が、国鉄より構内営業権を取得し、開業する横川駅の近くで弁当業を開始。その後、第一次世界大戦後には世界大恐慌、第二次大戦前後には食材不足に直面するなど、決して平坦な道のりではなかったが、今でも朝礼で社是として唱和されている「感謝、和顔、誠実」をモットーに、ベンチャー精神と顧客志向を発揮してピンチを乗り越えてきた。
「私の祖父にあたる3代目社長の高見澤一重は若くして急逝しましたが、当時は日に十数個単位でしか弁当が売れず、ジリ貧状態だったようです。遺された祖母が来る日も来る日も横川駅のホームに立ち、お客様の声を聞き続け、『温かい弁当が食べたい』という言葉をヒントに、1985年に『峠の釜めし』をつくりました。益子焼の取引先が持ち込んだ陶器の器の保温性に着目しました」と6代目の高見澤志和氏は語る。
先方が持ち込んだ容器がたまたま釜型だったことが、幕の内弁当にはない手作り感を出したいという同社の思惑に合致したという。当時は新幹線も存在せず、電車での長旅の楽しみは食べることくらい、という時代。温かく手作り感に溢れた「峠の釜めし」は、雑誌掲載を機に大ヒットした。60年以上愛され続けるロングセラーとなった最大の要因は、記憶に残る仕掛けがいくつも散りばめられていたことだ。
「容器のインパクトもさることながら、地域の食材を9種類も盛り込んだ贅沢感の一方、なぜか杏の甘煮が添えられているという小さな違和感もあったりして、旅のエピソードとともに語り伝えられていきました。単に腹を満たすだけのものではなく、大切な思い出の一部と捉えてもらえるように工夫を凝らしていました。昔も今も、容器を持ち帰って再利用される方が少なくないようで嬉しいです」
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