「岩手の酒」を世界26ヵ国へ 五代目が「老舗の酒蔵」を変えた

成功とは、次の世代が成功してこそ語れるもの――。久慈社長は、100年以上続く老舗の酒蔵を変革し、海外市場を開拓。伝統を次世代に継承することを目指す。

「南部美人」の味わい深い酒は、雪深い二戸市の厳しい寒さがあってこそ造りだされてきた

南部杜氏の里として古くから知られる岩手県。県内にある酒蔵は現在22軒、二戸(にのへ)市にある企業、南部美人もその一つだ。同社は江戸後期から醤油醸造を営んできた技術を活かし、1902年から酒造りを始めた。

南部美人で長く杜氏を務めた故・山口一氏は、1995年に勲六等瑞宝章を受章。酒造りの技術と精神は次世代に受け継がれ、「南部美人」は全国新酒鑑評会で最高位の金賞を何度も受賞している。また、全国の酒蔵に先駆けて海外進出に力を注ぎ、富裕層をターゲットにした営業展開も成果をあげている。その背景には、五代目蔵元・久慈浩介氏の革新的な取り組みがある。

留学を経験し、価値観に変化

久慈社長が海外進出を考える発端となったのは、17歳のアメリカ留学だった。

「約1ヵ月を過ごしたホームステイ先に、自社の酒を持っていきました。それを呑んだホストファミリーの父は、毎日こう言い続けました。『こんなおいしいお酒をつくる蔵元の息子に生まれた君は、なんてすごいんだ!』と」

その言葉は、それまで教師を目指していた久慈社長の心を大きく揺さぶった。また、留学先の同級生が日本酒や日本文化に深い興味を示すのを見て、初めて実家が蔵元であることの価値を認識した。

「今まで当たり前だと考えていたものが、すごく良いものではないかと気づきました」

物事に対する外からの視点を高校時代に体験したことは、その後の海外進出の決断に少なからず影響しているという。酒造りに臨む気持ちを固めた久慈社長は、東京農業大学の醸造学科に進学。農学博士・小泉武夫教授のもとで酒造りに心身を傾けていった。

久慈浩介(くじ こうすけ)南部美人 代表取締役社長、五代目蔵元

古い慣習に捉われない

同社で「南部美人」という銘柄の酒が誕生したのは1951年。昔は二戸地区だけで親しまれていたが徐々に販路を広げ、四代目の時代に東京都内の地酒卸との取引をスタート。「南部美人」を全国へと広めていった。

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