「関係価値」―人と人とのつながりを重視する社会

しずかな変化

社会が大きく変わりつつある、と思う。この変化は目立たず、すぐには気づかれにくい。しかし、忙しいさなかにちょっと立ち止まって周りを見渡せばいい。日常生活のなかに、あるいは人々との会話のなかに、変化を感じることができる。ちょうど季節が移り変わるときのようだ。ゆっくりとしかし確実に変わっている。

変化は、特に若い世代で顕著だ。まず所有ということ。たとえば車も自宅も欲しいと思っていない。僕は昨年思うところがあって車を手放すことにした。研究所の若い同僚たちに譲ろうとしたが、誰も引き受けてはくれなかった。必要ないですから、ということである。自宅に関してもそうだ。家を建てるということは、僕らの世代では夢だった。しかし若い世代にこの願望は希薄だ。どこからか、居心地のいい借家を探してきて快適に過ごしている。

人生の目的に関しても、違ってきた。社会的な評価を気にするよりも、むしろ自分の好きなことをしたい。がむしゃらに社会の階梯を上がることなど考えていない。消極的あるいは内向きに思えるが、大切にしたいものが違っているだけである。社会的な成功よりも家族や友人とすごす時間に価値がある。立身出世という言葉は死語になったようだ。

消費のあり方も変わってきた。今では、無駄に物を消費することに心理的抵抗が生まれている。必要なものと欲しいものを明確に区別してきている。なんでも手当たり次第に安く手に入れたいというよりも、本当に必要なものなら「良いもの」を高くてもと考える。さらにいえば自己顕示欲を示すための消費でなく、生活の内面を豊かにするための消費へと変化している。

若い世代は、車や自宅を欲しいと思っていない。所有に対する価値観が変化している。©Liu Hua/123RF.COM

物質的豊かさと利便性の追求

こうした変化の底流には人々の価値観の変化がある。これまでわれわれは、ひたすら物質的豊かさと生活の利便性を求めてきた。高度成長時期を思い出せばいい。右肩あがりの経済成長を信じて疑わなかった。

経済白書に「もはや戦後ではない」と記されたのは1956年である。前年の経済水準が、20年間の停滞時期を経て戦前の水準を超え、「三種の神器」と呼ばれた耐久消費財ブームが生まれた。「大きいことはいいことだ」というコマーシャルがあった。となりの家がテレビや車を買えば、自分の家ではそれよりも大きなものを買う。競い合って物を購入し、そのことに何の疑問も抱かなかった。「消費は美徳」という言葉が流行ったのは1959年である。

1968年に国民総生産で世界第二位となった日本社会は、年を追うごとに便利になってきた。新幹線と高速道路の建設が進んだが、象徴ともいえるのはコンビニエンスストアだろう。70年代に日本の街角に出現して、今ではなくてはならない存在である。365日24時間開いていて、狭い店舗にもかかわらず、POSシステムと共同配送システムにより、商品は常に消費者の要求を満たすようにそろっている。まさに「便利な店」である。

振り返れば、われわれは物質的豊かさと利便性を大切な価値だと信じて、社会をデザインしてきたのである。そして今日、その価値観が変わってきている。人々はあらたな価値を求めている。

車はカー・シェアリング、家もシェア・ハウス。「自分も、みんなも」という「つながり重視」の新たな価値観を求めている ©Imagehit Limited | Exclusive Contributor/123RF.COM

新たな価値観とは何か

根本的な変化をもたらすあらたな価値観とは何なのか。公共心、公平性、清廉、誠実性などいろいろ言葉が浮かぶ。そのなかで僕は、つながりということに着目している。

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