水木しげるロードに学ぶ 久繁哲之介流・商店街再生

年間200万人以上が訪れる境港市の「水木しげるロード」。その賑わいは、どのように生み出されたのか。地域再生のプロ・久繁哲之介氏が、水木しげるロードに示される「まちおこし」のヒント、商店街施策の課題を語る。

----最盛期には、300万人以上もの人が訪れた境港市の「水木しげるロード」は、商店街活性化の「成功事例」として、よく語られます。

久繁 水木しげるロードは、「まちおこし、観光振興」として見れば成功事例ですが、「商店街活性化」という視点で見ると、多くの問題を抱えています。水木しげるロードには、観光客がたくさん訪れていますが、一方で、地元市民の買い物の場、交流の場としては、機能していません。

観光地化すると、商店街の品揃えは土産物が中心になり、地元市民が行く場所ではなくなります。地元市民が、どこで買い物をしているかというと、大型店です。こうした事例は、全国で増えています。商店街の衰退は、「大型店に客を奪われた」からではなく、「地元市民が大型店を選んだ」ことで起こりました。商店街活性化には、地域密着の施策が欠かせません。

久繁 哲之介(地域再生プランナー)

大切なのはリーダーの情熱

----水木しげるロードが「まちおこし」に成功した要因は、どこにあるのですか。

久繁 成功するには、強い理念を持つリーダーの存在が欠かせません。境港市の場合、その役割を果たしたのは、元市長の黒見哲夫氏と水木しげる氏です。

1989年に市長となった黒見氏は、「緑と文化のまちづくり」を目指し、安全で魅力ある歩道づくりを進めました。広い歩道を確保しつつ、文化的な景観を実現するために、地元出身の漫画家・水木しげる氏の作品に登場する妖怪の銅像設置を計画したのです。

しかし、商店主たちは猛反発しました。妖怪の銅像設置で成功した前例はなく、駐車できる車道スペースも狭まるからです。それでも、黒見氏は粘り強く交渉を進めました。そして、水木氏の支援を引き出し、一部の商店主の協力を取り付けました。

計画では、水木しげるロードは全長800mを対象としていましたが、93年のスタート段階では、南側200mだけの部分開業でした。黒見氏は、やる気のある一部の商店主の協力を得て、できる部分から始め、結果を出すことで周囲を巻き込んでいったのです。

多くの商店街で、意欲ある商店主は20%程度にすぎません。まずは、その20%の協力を得て、取り組みを始めてしまうことです。最初から全員合意を目指すと、エネルギーと時間を浪費するうえに、最初のコンセプトで描いた尖った部分が失われてしまいます。

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