素麺といえば「揖保乃糸」 ナンバーワンブランド形成までの道程

日本人なら誰もが知る素麺の一大ブランド・揖保乃糸。兵庫県揖保川中流域で生産される揖保乃糸は、いかにそのブランド力を高めていったのか。歴史を紐解きながらその秘密に迫る。

揖保乃糸は原材料や麺の細さで等級を分ける。写真は全生産量のおよそ80%を占める上級品

600年の歴史

素麺と聞いて多くの日本人が思い浮かべるブランドと言えば揖保乃糸だろう。手延素麺において全国シェアの40%を占める堂々の1位。手延べならではのコシと舌触りの良い食感、等級が定められた高級感のあるブランドイメージから家庭用のみならず贈答用としても多く使われている。

素麺製造には良質な水が不可欠だ。揖保乃糸の生産組合員は兵庫県南西部を流れる一級水系揖保川中流域に所在している。この地域での素麺製造の歴史は古く、揖保郡斑鳩寺に残る古文書「鵤庄引付」の応永25年(1418)の条に、すでに「サウメン」という記述が見られる。製造が本格化したのは1770年代頃と言われ、1800年初頭には龍野藩の保護育成のもと産地化が進んだ。

「当初は乾物問屋で売られていましたが、明治に入ると米問屋での扱いが増えていったようです」と揖保乃糸の歴史を語るのは、兵庫県手延素麺協同組合理事長の井上猛氏。「6月の梅雨の時期からは米の備蓄も少なくなっていきますから、そこに素麺の需要が生まれたのでしょう。現組合の前身が設立されたのも明治に入ってからのことです」

厳密な品質管理

しかし、龍野藩の許可業種として奨励された素麺づくりは、生産業者の乱立から品質の低下を招く事態へ陥ったという。そこで複数の製造業者によって、品質に関する取り決めを行ったと、江戸時代の記録が残る。その後、明治時代に入り、1887年に材料や加工法、販売などに基準を設ける目的で、現組合の前身となる播磨国揖東西両郡素麺営業組合が発足。1906年には揖保乃糸という商品名が商標登録されるにいたった。

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